ぼへ @dogmadd5 おすすめタブに出てきた黒猫ちゃんいいねbot 弐寺 両皆伝 DDR 両World o†oEXはクリア 元両虹ギタフリ9000 暴龍天 なんかパッとしないやつ メイン機種は枝豆つかみ取り 来世に期待しましょう 謎の8桁コード(踏みゲー編)21168737 twpf.jp/dogmadd5
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80年代を開成→東大で過ごした夫が、未だに80年代しぐさで普遍的正義に冷笑的な態度を取るのが知的だと思っていて、こいつ、いつまでナイーブかましてんだよ、と思う。夫婦間で正義についての対立が根深いと正直辛い。だから10歳下の私は80年代の罪が憎いんだよ。
電車の乗車マナーをめぐるトラブルは後を絶たないが、今回は度を超していた。大阪市大正区のJR大阪環状線大正駅構内で今年2月、電車から降りた男性(34)をナイフで刺して負傷させたとして、殺人未遂罪に問われた無職の男(62)に対する裁判員裁判が10月、大阪地裁で開かれた。男は事件当日、優先座席に座っていた男性とトラブルを起こし、ナイフで刺した。男は、以前からこの男性に不満を抱いていたというが、被害男性も男を他の乗客と度々もめるトラブルメーカーと思っていた。「自分勝手な正義感」が危険な攻撃性となって現れることも少なくないという。 ■「何座ってんねん」 公判資料によると、事件の始まりは2月7日午前6時40分ごろ、JR大阪駅発の環状線内回り電車。6両目の優先座席に座った男性は男から言いがかりをつけられた。 「なに座ってんねん。足悪いんか?」 男性は無視したが、両ひざを小突かれた。同50分ごろ、電車が大
6月24日に福岡でおきてしまったHagexさんの刺殺事件から、もう3週間以上が経過しています。 正直、この事件についてはまだ全ての真相が明らかになったわけではありませんし、いまだに自分の中では整理ができていない点も多々あるのですが。 このまま事件を風化させるのは良くないのではないかという複雑な思いが、どうしても頭の中でぐるぐるぐるぐると空回りしてしまうのと、この事件に関する取材の打診を受けたこともあり、一度自分なりの整理を書きだしてみたいと思います。 今回の事件は、直接面識がなかった容疑者と被害者が、オンライン上での投稿がきっかけとなって発生してしまった殺人事件ということで、事件発生直後は情報が錯綜し、メディアの報じ方や、言及の仕方に対しても様々な問題提起がなされました。 特に初期の報道では、容疑者と被害者が直接ネット上で論争をしていた結果、今回の事件が発生したという誤解をしたままの報道も
正義というものが、いまの日本ではとても厄介になってしまっている。 以前、大手海外通信社の記者が「私達記者は正義。がんばる」とツイートして話題になったことがあった。 私達記者は正義。がんばる。 — Yuri Kageyama (@yurikageyama) 2016年2月22日 この記者の言う「正義」(私はこの日本的な正義は本来の正義と違うと思うので、区別するためカギカッコつきにしておく)は、善悪の善や正しさのようなものを意味しているのだろう。儒教でいう義(正しいこと)から転じた言葉なのではないだろうか。でもここで何が正しくて何が正しくないかという基準は、いったい誰に決めることができるのだろうか?
平和な日本を象徴するように「不倫」騒動の話題が相変わらずに賑やかです。 単純な疑問として、女性タレントや女性政治家の不倫は「ぜったいに許されない」ことで、男性ミュージシャンの不倫は「報道してはいけない」のはなぜでしょう。「妻の介護で苦労していた」というかもしれませんが、だとすれば、夫の介護を美談にしていた女性タレントが不倫していたら同じように「かわいそう」と大合唱するのでしょうか。 ここには明らかに男女の非対称性がありますが、「女性差別はけしからん」という話をしたいわけではありません。ワイドショーや女性週刊誌が有名人の不倫を大きく扱うのは、女性の視聴者・読者が求めているからでしょう。「女が(不倫をした)女をバッシングする」現象をフェミニズムは「女性差別が内面化されている」と解釈するかもしれませんが、これはもっとシンプルな説明が可能です。男であれ女であれ、ルールに違反した者を罰することは快感
遙から ここのところ、豊田真由子衆議院議員の「暴言」が各種メディアで繰り返し取り上げられている。もう第三弾になる。その言葉に辟易とした表情を見せるコメンテーターを見るにつけ、「本当か」と思う。まるで自分にはその類の怒りはないかのような、驚きを隠さないリアクションが揃いも揃う様子を見るにつけ、「嘘をつけ」と私は思っている。 私だけなのか? なぜなら、私には豊田議員の「怒り」がなんと言うか、すんなりと耳に入ってきたからだ。怒りの周波数が合ったといえばいいか。私の心の奥底にマグマのように渦巻いている、しかし現実には噴火させることのない怒りが、豊田議員の怒りと期せずして重なったようなのだ。 私がコメンテーターなら、「どうですか」の質問に、「共感する部分があります」と答えるだろう。 彼女の言動に相槌を打つことが憚られる昨今であることは承知している。でも、私と似た思いを密かに抱える人がいて、じっと口を
anond.hatelabo.jp この『はてな匿名ダイアリー』をみて、僕も以前、なぜ「正義」ではなくて、「正義の味方」なのだろうか?と、疑問になったことを思い出したのです。 実は「正義の味方」という表現は、ずっと昔からあったわけではなくて、太平洋戦争が終わってしばらく経った1958年に放送がはじまった『月光仮面』で使われ始めたのです。 fujipon.hatenadiary.com 『クイック・ジャパン』創刊当初の名物企画から生まれたインタビュー集『篦棒(ベラボー)な人々』のなかで、『月光仮面』の原作者であり、「正義の味方」という表現をつくった川内康範さんが、こんな話をされています。 川内康範:月光仮面は月光菩薩に由来しているんだけど、月光菩薩は本来、脇仏なんだよね。脇役で人を助ける。月光仮面もけっして主役じゃない。裏方なんだな。だから「正義の味方」なんだよ。けっして正義そのものではない
ネットの世界では,みんな誰かを攻撃したくてたまらないみたいだ。 Twitterなんかを見てると特にそう感じる。 悪意のない失言ひとつで,自覚のない差別的言動ひとつで,顔も名前も知らない大勢の人たちから一方的に非難され人格を否定されるようになってきていないか 失言をした人に対して正論をぶつけて批判することはことは決して正しいことじゃないと思う。 いくらその人の発言が不用意でまずいものだったとして,見知らぬ人たちからいきなり攻撃的に批判されて,それで過ちを認めて反省できる人が居るのか。 俺たちは他人の落ち度につけこんでただ攻撃したいだけなんじゃないのか 正義感で,正義の名のもとに,他人を攻撃してないか。 それで社会がよくなると本当に思っているのか。 どんなに(自分にとって)正しい理由があっても人を攻撃していいわけない。 正しい=正解じゃないはずだ。 人間誰だって完璧じゃない。 正義感で他人を攻
社会問題に興味を持つ意識高い系は、正義の味方思考が強い人だ。 こんなふうに思った事はありませんか? 実は、よく僕は正義の味方思考の強い人だ、と誤解される事があるんです。 それは、自分が貧困問題をテーマにブログを書いたり、貧困で苦しむ人達を支援するNPO団体にボランティアで参加している事と深く関係しています。 気持ちは解るんです。社会の大きな問題である貧困問題に注目しているぐらいだから、すごく正義感が強い人のイメージが浮んでくるのでしょう。 もっと大袈裟に言えば、僕の事を弱きを助け、悪を倒す、正義の人と思っている人すらいるかもしれません。 しかし、当たり前ですが、僕自身は正義の味方ではない。と言うよりも、もっと、はっきり言ってしまえば、正義の味方は大、大、大嫌いなんです。 理由は簡単。自分は悪くないと思っている正義の味方ほど、悪を超える悪を生む可能性があるからなんですよ。 このブログが始まっ
つまり、正義という普遍の理想が存在していて、ナチスやポルポトはその正義ではなかったという「唯一正義論」をリベラルを称する人が信仰するのは不思議な現象だと思う。 人の数だけ正義はあると認めるのはそんなに辛いことなのだろうか。
『What would you do?(あなたならどうする?)』というアメリカの番組がある。 これは差別の現場や困っている人を役者に演じさせ、それに出くわした一般市民が どういう反応をするかを見る社会実験的な番組だ。 例えば、高級ブティックで白人の店員(役者)が黒人の客(役者)に対して、 過剰に万引き客の可能性を警戒し、身体検査をしたり差別的な暴言を浴びせたりする。 それに対して、一般市民の客が抗議の声をあげるかどうかを隠しカメラで撮影するのだ。 抗議の声をあげた勇敢な客は、種明かしされるとともに、番組のMCから褒めたたえられる。 この番組を見て思い出したのは、乙武君のイタリアンレストランの件だ。 あのレストランの店主は明らかに障害者差別を行っており、乙武君は被害者の側だ。 それにも関わらず、私が見た限りでは、ネットでは乙武君を批判する声が多数派だった。 障害者差別をしてはならないという社
「彼ら」があんな時代錯誤な国家体制でやっていけるのも石油やその他の資源があるからに過ぎず、 子供が増えるのは単に貧しいからで、いずれは彼らも少子化に悩むことになる。 頭ではそう理解している。そして納得したことにしている。 しかし、頭のどこかで疑念が消えない。 本当の正義は彼らの方にあり、我らはやがて雑に育てられたかつての子供たちに駆逐されるんじゃないかと。 その時、我らが滅びた表向きの理由としては、あいつら神を信じないから罰が当たったんだざまみろハハハ、 ぐらいのことが順当に言われるのだろう。しかし、理由の三番目か四番目あたりには出てくると思うのだ。 「まあ、あいつら、いくらなんでも、女子供を優遇しすぎたよね」と。
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