墓参りなんてしたくないし そもそも墓なんか買いたくねーし 遺骨だって手元に置いておきたくないけど 確か捨てたらいけないんだよな? 遺骨見るだけでムカつくから処分したいんだけどどうすればいいの? 教えて有識者
数年前のことだけど、祖母が亡くなったのでその出棺に立ち会った。 そんときに納棺前の着替え(?)みたいなのして、最後に業者の人が頭のところに白い頭巾みたいなのをかぶせてお化粧してくれてた。 説明ではなんかあっちの人にお嫁入りするからきれいにしてあげるのですみたいなこと言ってて(業者の人は女の人)、もし未婚のまま自分が死んだら同じように無理やり白無垢着せられてあの世に送り出されるのかなあと思ったらかなりぞーっとした。 ちなみにその何十年も前に祖父は死んでる。 もしもだけど、結婚生活が嫌だった人も死んだらまた別の変なののところに嫁がせられるのかと思ったら地獄送りだ、と思ってしまった。 そんだけ。
このあいだ遂に爺さんが亡くなった 御年90歳の大往生だった 大病のせいで入退院を繰り返していたので ようやく楽になれてよかったなあと思った 両親も肩の荷が下りたようでホッとしていた ちなみに爺さんは浄土真宗の僧侶だったので 葬式にはそこそこの数の坊主仲間がやってきた 坊主にふさわしいお見送りということで 皆でお経の本を持って読経することになった それ自体は別にいいんだけど なぜか俺を囲むように坊主が集中しており 八方から大音量のお経が響いてきて煩かった 俺の小声での読経も加えると 7.1chサラウンドといった感じで まさしくボーズのスピーカーだった
だいたいタイトルで言いたいことは終わってるけどまあ適当に蛇足 親戚の葬式とか行くことあるじゃないですか 子供だったころは焼香だけして外で遊んでたりするけどある程度年行くと喪服着込んで色々参加するわけですよ、しかもその頃になると昔よくお小遣いくれたおばちゃんとかたまにしか会わないで毎回「でっかくなったなあ!」とか行ってくる母方なのか父方なのかよくわからん人とかの関わりがあって元気だった頃をある程度知ってる人がピクリとも動かず棺桶に入ってるわけですよ 顔を見て、念仏を聞いて、挨拶とかして、運び込まれて、焼却場に移動して、入れられて、お骨になって、って色々続いていって この前に会って話してたおばちゃんが2度と動かなくなってて、しかもそこまで家族と関わりが深くないと病状の進行なんて全くわからないわけで、来年の正月とかにまた会うかなーとか思ってた人が初夏に死んでて、そこで能動的に会いに行くことになる
でも現実感がなくて、何をどうしてこうすればいいのか全く分からなくて 一応長男らしいから何かしらしなくてはいけないのだろうけれど全く分からなくて 頭の中が焦燥感だけで埋め尽くされていて、親への気遣いもろくにできていないかもしれなくて 一体何をどうしろっていうんだよ、本当に こんなのどこで学ぶんだよ
昨年、友人が亡くなった。 お葬式では、讃美歌を歌いながら泣いた。 故人の経歴というものも聞いた。 「人の一生を紹介するには、20年間というのは短すぎるんだな」とそのとき思った。 私はまだ20代前半で、同年代の友人の死に未だに現実感が沸いていない。 友人たちにお葬式の連絡をするときも、「そうだ。○○(友人名)にも連絡しなきゃ。」 式の前日も、「○○は明日来るかな。久しぶりに会うなぁ。」 と考えてる有様だった。 それは参列した他の友人や知人たちも同じようで、慣れないスーツに身を包む彼らはぎこちない様子で、 初めて1人で来たお葬式に戸惑っているようだった。 お葬式で涙を流すだけ流した私は、それ以降彼女の死を思い出して泣くことはなかった。 たった数分泣いただけって、自分は薄情なのかなと思う。 最初、彼女は長期の旅行に出たんだ、と思い込もうとした。 けれど、インターネットがあってリアルタイムに連絡を
いやこれ普通に非常識すぎるでしょ。 大体、叔父だってお前とは仲良くなくても父親にとっては家族じゃねーか。葬式の連絡も教えて貰えず何も知らないまま放置とかクズすぎるだろ。 いきなり知り合いから連絡が来て「死んだ日」と「墓の場所」だけいきなり送りつけられるとか。 しかも忙しいから直接墓に行け、お前と会うのは一切お断りなんていうクソ非常識な文言までつけて。 これが自分の家族のしたことだったら恥ずかしくて顔出せないわ。礼儀も常識もあったもんじゃない。 仮に家族からは無関係でも、父親にとっては恩があったり助けて貰った人だってその中にいたかもしれないのに。 直接顔を合わせたことがなくても知らない場所で助けて貰ったり、結婚や出産祝いをくれた人だっていたかもしれないわけでしょ。 それを自分の身勝手なイメージでめんどくさいことを要求する敵と決め付けて死んだ日と墓の場所と自分のことしか考えてない非常識な文章を
http://anond.hatelabo.jp/20160331150720 お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話 人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。 人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。 そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。 こちらの方が、比較的やりやすいのではないかなと思う。 具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。 前提条件親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。 そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、
通知を出して半年後とかではダメなのだろうか。 もちろん遺体の焼却はさっさとしないとだが、初七日とか四十九日もぴったり7日や49日でやらないんだし、拘らなくてもよいのではと思う。 式を執り行うことに意義があるだけで、そこに遺体は必要なのだろうか。 墓石がない墓が一般的だし、六文銭も最近はただの紙だし、そろそろ遺体レスの葬式も発案できると思うのだが。 数人分まとめてできる分、葬儀費用は安くなるだろうし、式場や寺も計画的な業務が出来るようになる。 婚姻届は24時間いつでも受付ていても、結婚式は「明後日やるからよろしく!」なんてことはない。 葬式ももう少し考えたらどうか。 追記 巷で言われるほど、葬儀の高さに文句はない。 創価学会は葬式が安いらしいが、その他の機会に吸い取られるし、クリスチャンだって毎週教会に通ったり、なにかの折りに寄付をしたりと、どんな宗教でも金はかかる。 普段なにもしないぶん金
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