東京五輪まであと500日を迎えた1963年の春。それまでのオリンピックで活躍した輝ける英雄たちが、往時を振り返った。 “消えた日本選手”となった金栗四三、パリ会場までの40日近い船旅、陸上での初の金メダル――座談会は実に朝から深夜に及んだ。『文藝春秋』1963年7月号に掲載されたその座談会記事を今回ふたたび皆さんにお目にかける。/聞き手・ 川本信正(スポーツ評論家)&菅沼俊哉(共同通信運動部長) この記事に登場する人物 遊佐幸平(ゆさこうへい)〈馬術〉 9回大会に出場。以後、監督として参加。 金栗四三(かなくりしそう)〈陸上〉 日本マラソン界の父。箱根駅伝の創設に尽力する。 熊谷一弥(くまがいいちや)〈テニス〉 日本としてのメダル1号。左利きの世界的名手。 高石勝男(たかいしかつお)〈水泳〉 東京五輪水泳代表総監督。日本クロール泳法の父。 鶴田義行(つるたよしゆき)〈水泳〉 9回、10回大