9月で発生100年となる関東大震災(1923年)で多数の朝鮮人が虐殺された問題について、東京都の小池百合子知事は21日の定例都議会で「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」と述べ、虐殺の有無について明確な認識を示さなかった。従来の答弁を繰り返した形だ。 同日の代表質問で共産党議員に答弁した。質問では、都が1972年に発行した「東京百年史」で朝鮮人虐殺について「震災とは別の人災」などと記載されていると指摘し、知事の認識を尋ねた。知事は「様々な内容が史実として書かれていると承知している」と述べつつ、事実かどうかの判断は歴史家に委ねる姿勢を改めて示した。 また、虐殺犠牲者を悼む式典への追悼文を2017年以降、送っていないことについても質問され、「甚大な災害と、それに続く様々な事情で亡くなられた全ての方々に対し、哀悼の意を表している」とし、姿勢を変えない考えを述べた。(土舘聡一)
自然科学5、社会科学3、文学2の割合でいい ――「主体的・対話的で深い学び」を実現するために探究学習が重視される中、学校図書館の役割が大きくなっています。 それなのに学校図書館の基本的な考えは「1980年代からほとんど変わっていない」のです。30年前の服が並んでいる洋服屋に買いたい服はありますか? 本というのは刷られた瞬間に世界が止まります。データ本はデータが変わったら、法律やスポーツならルールが変わったら使えません。ミステリーなんて、DNAが解析されたので、今は血が1滴落ちていたら犯人がわかってしまいます。時代が緩やかで変化がなければ、本はそのまま使えますが、変化があれば図書館に並べる本も変えなくてはなりません。 1960年から80年代までは世界中が文学全盛期で、図書館の中では「物語」がいちばん強かった時代です。その当時の学校図書館は、新しく出た面白い物語を買い足すだけで済みました。90
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