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ブックマーク / number.bunshun.jp (3)

  • 「なにをコラァ、お前っ」前田日明ブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…29年前のあの日、何が起きたのか? 坂田亘の対戦相手が証言する真相(細田昌志)

    「なにをコラァ、お前っ」プロレスラー前田日明が殴る蹴るの鉄拳制裁……ネット上で有名になった“伝説の控え室ボコボコ事件”。29年前のあの日、何があったのか? ボコボコにされた坂田亘はどんな試合をしたのか? 坂田の対戦相手だった鶴巻伸洋が証言する、あの日の真相。そして、あの日を迎えるまでの波乱万丈の人生。【全3回の第1回/第2回、第3回も公開中】 ◆◆◆ 「有名動画」という言葉がある。SNSなどを通じて広く拡散された動画のことだが、芸能人やアスリート、ユーチューバーに負けじとプロレス・格闘技におけるそれも、なかなか豊富である。修斗創始者・佐山聡の合宿での例の動画や、長州力と橋真也の「タココラ問答」がそれに該当するが、衝撃の大きさだけで言えば、前田日明の「坂田亘暴行動画」が一番かもしれない。マニア以外でも一度は目にしたことがあるのではないか。 前田日明、人に聞いた真相 1995年5月20日、

    「なにをコラァ、お前っ」前田日明ブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…29年前のあの日、何が起きたのか? 坂田亘の対戦相手が証言する真相(細田昌志)
  • 大谷翔平とホワイ・ノット?の精神。メジャーの一流選手たちが「勇敢な冒険」にお世辞ではない好意と敬意を示すワケ(芝山幹郎)

    2021年のオールスターゲームが終わった。大谷翔平は1番打者として打席に立ち、先発のマウンドに登って勝利投手となった。塁打は打たなかったし、三振も奪わなかったが、100マイル超えの速球をオールスターで投げたのは、2018年のクリス・セール以来だ。 それだけではない。前日の彼は、ホームランダービーに出場し、1回戦でホアン・ソトに敗れたものの、500フィート超えの特大アーチを6も飛ばした。 「大谷の年」という表現が大げさに聞こえないほどの存在感だ。ホームランダービーで優勝し、オールスターゲーム塁打を放ち、三者三振まで奪う夢のようなシナリオを思い描いていた人も少なくなかっただろうが、それは欲張りというものだ。大谷の残した功績は十分に輝かしい。 スポーツ・イラストレイテッドも、ニューヨーク・タイムズも、MLB.comも、大谷の記事でもちきりだ。残らず眼を通そうとすると、夜が明けてしまう。記

    大谷翔平とホワイ・ノット?の精神。メジャーの一流選手たちが「勇敢な冒険」にお世辞ではない好意と敬意を示すワケ(芝山幹郎)
  • “石の拳”シカティック逝去。戦士としての人生と死闘秘話。(布施鋼治)

    1993年の第1回「K-1 GRAND PRIX」を制覇したブランコ・シカティック。他の格闘家とは異なるオーラを放つ“軍人”だった。 伝説の拳が天に召された。 ブランコ・シカティック(クロアチア)。享年65。死因は肺血栓症の悪化だったという。2年前、肺血栓症で入院したシカティックは直後にパーキンソン病も併発。最近は家族のサポートのもと、アドリア海に面した古都ソリンにある自宅で療養していたが、3月22日帰らぬ人になった。 初来日は初めてのK-1として行われた1993年4月の『K-1GRAND PRIX'93』だった。世界で初めて行われたヘビー級ファイターによる8人制のワンデートーナメントに出場したのだ。正直、当時のシカティックは日では無名の選手にすぎなかった。 しかし、初戦(準々決勝)で安生洋二との異種格闘技戦でプロレスファンにも人気の高かったチャンプア・ゲッソンリット(タイ)を体格差とパ

    “石の拳”シカティック逝去。戦士としての人生と死闘秘話。(布施鋼治)
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