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エトワール海渡の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 店長のシールでTシャツを当てた馬喰町〜地元もてなしツアー

    「馬喰町 怖い」 今回案内をしてくれるトル―さん。 JR馬喰町駅改札を出ると、やや浮かない顔をするトル―さんがいた。 「『馬喰町』って検索してみたんですけどサジェストに『馬喰町 こ怖い』って出てきたんですよね……なんでだろう」 馬喰町、怖い街。個人的にそんな印象はないが多くの人がそう思って検索をしているのだろう。駅が地下にあるからかな。 都営地下鉄も2本あるし、便利そうではあるのに。​​​​​​ 「昔、この都営浅草線までの道のりで、身なりを綺麗に着飾ったご婦人に電車賃をせがまれたんです。カードしかないというので駅員さんに相談したら、と提案したらスッと真顔になって去っていきました」 怖い話じゃないか。 地上に上がる前に馬喰町、怖い街という印象がついてしまった。 吉田松陰終焉の地・十思公園 駅からちょっと歩いたところに、かの有名な幕末の武士、吉田松陰に縁のある公園があるというのでついて行ってみ

      店長のシールでTシャツを当てた馬喰町〜地元もてなしツアー
    • 父の出張と甘納豆

      甘納豆。 父が自営業の仕入れへ東京に行く際、土産でよく買ってきてくれた思い出の品だ。住んでいる地元にはないお菓子、ちょっぴり都会の香りがするお菓子。 核家族の我が家は、父出張時、家で男は私だけになる。出発の前日、父は2人っきりの時に、いつも決まって私にこう、コソッと言う。 「増田よ、家を任せたぞ」と。 小学2年生の私は、その言葉に妙な歯がゆさ、男として認められた照れ臭さ、もしもの時は家族を守る、という緊張感が入り混じった感情になる。 父も小2の私に、家族の安全を守れる、なんて期待は、甚だしてないだろう。が、父は私に、長男としての自覚を、幼いながらも持たせたかったのであろう。 もちろん平和な日本だ。変わった事は何も起こらない。ただ子供ながらにも、父親不在の中、『何かあったら俺が』と、隠れた決意は心に秘めている。この決意は母や姉には言わない。父と私だけの男の約束だからだ。 小2の私は一人、隠れ

        父の出張と甘納豆
      • 街角の風景『日本橋馬喰町~江戸通り・エトワール海渡』 - 嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2

        正面玄関のからくり時計 街角の風景 『日本橋馬喰町~江戸通り・エトワール海渡』 エトワール海渡 1902年創業 今年は創業118周年 photoⒸarashi

          街角の風景『日本橋馬喰町~江戸通り・エトワール海渡』 - 嵐、ゴルフ、ミステリーの日々2
        • 馬喰町を散歩しました|ジモトぶらぶらマガジン サンポー

          馬喰町に降りて笑ってしまったのは、駅の看板がセブンイレブン並のさりげなさだったからでした。 天下のJRの駅で、この看板。 もっともこのあたりは馬喰横山駅、東日本橋駅、小伝馬町駅も徒歩圏内で、コンビニ感覚で駅がある。 それの、体現なのかもしれません。 さて、馬喰町(ばくろちょう)とは何か。 古くは街道が通っていたため博労(ばくろう・馬の仲買人)が多く住んでいたから馬喰町。 今では、衣料品問屋街のある街として有名です。 ただ問屋街としての多様性が見られるのは隣接する日本橋横山町のほうで、馬喰町に降りた感想を一言で言えば、ここは「エトワール海渡」で出来ていると思いました。 エトワール海渡は布製品の卸問屋さんで創業は1902年。 問屋なので小売りは基本やってない。 馬喰町で生きていくために必要なもの、それはエトワール海渡の会員証です。 えっ持ってない? お話にならないですね…… じゃあ他へ寄るかと

            馬喰町を散歩しました|ジモトぶらぶらマガジン サンポー
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