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ボーイ・ジョージ 来日の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』『WEEKEND』―'10年代、映画/TVシリーズのLGBTQ表現はどこまで進化を遂げたのか?

    MAIL MAGAZINE下記からメールアドレスを登録すると、FUZEが配信する最新情報が載ったメールマガジンを受け取ることができます。 利用規約、プライバシーポリシーに同意します。 登録する いまだ途上ではあるものの、2010年代は人々がマイノリティのアイデンティティという問題と向き合うことに以前よりも自覚的になったディケイドだった。では、それに伴って、映画/TVシリーズといったエンタテイメント表現はどのように変化を遂げたのか?――こうした問題意識の下、デクスター・フレッチャー監督の『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』といったロック・スター/ゲイ・アイコンの伝記大作映画を入り口として、大小かかわらずここ10年の映像作品におけるLGBTQ表象を中心に討議したのが、この対談だ。 語り手は、映画/音楽ライターの萩原麻理と、同じく映画/音楽ライターであり、オープンリー・ゲイとしての立場でゲ

      『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』『WEEKEND』―'10年代、映画/TVシリーズのLGBTQ表現はどこまで進化を遂げたのか?
    • DEAD OR ALIVE「YOUTHQUAKE」(1985年)アルバム・レビュー【Collection#107】 - ナツカシ E じゃん!

      1979年にゴシック・ロックバンド風の”ナイトメアーズ・イン・ワックス”が1980年にデッド・オア・アライブに生まれ変わった! それは1stシングルのレコーディングの約10分前に決まったっていう話だから凄いバンド! そもそも史上最低のバンドを目指したっていうんだから、それも凄い話だ! そんなデッド・オア・アライブの2ndアルバム!! こんな方におすすめ ビートの効いた電子サウンドながらロックを感じる楽曲が好きな方 ユーロビート、ハイエナジーと聞くと青春時代を想いだす方 実は親が好きで車の中で良く聴いていた記憶がある方 グラムロック、パンクロックの次はこれだ!と英国ロックが好きな方 奇抜な衣装にメイク、グラマラスなルックスのアーティストが好きな方 こんな方におすすめ DEAD OR ALIVE「YOUTHQUAKE」(1985年) TOMOZY(トモジー)のアルバム評価(MAX ★5) 試聴

        DEAD OR ALIVE「YOUTHQUAKE」(1985年)アルバム・レビュー【Collection#107】 - ナツカシ E じゃん!
      • 「ウドー音楽事務所」創業者の有働さんありがとう - 暇の向こう側 ~暇つぶしてミラクル~

        先日、 ヘゲレス人のダンナ、ベジの人が、 「ウドーが亡くなったらしいよ」 と言った。 ベジの人は、70sロック大好きオタク人間である。大体の70sの大物ロックバンドは日本公演の際には絶対にプロモーターはウドーだということを知っていたのだ。 私達日本人が海外の人と共通のロックバンドの話題で盛り上がることができるのは、ウドー音楽事務所が70年代からロックバンドを日本にガンガン呼んでくれたお陰であると思う。ロック文化の共有。少々英語が通じなくとも話は弾むのだ。ブドカン(武道館)、オーサカフェスティバルホール、コセイネンキーン(厚生年金会館)とか、数々のレジェンドライブが生まれた。 ベニューまで知っているからな。こちらロックオタクなやつらは。 アーティストたちは日本公演、特に武道館は特別感があるみたいで、当時の海外バンドは武道館でライブをすることがステイタス、成功の証だと言われていたようだ。(今も

          「ウドー音楽事務所」創業者の有働さんありがとう - 暇の向こう側 ~暇つぶしてミラクル~
        • ジグ・ジグ・スパトニック - Wikipedia

          ジグ・ジグ・スパトニックは元ジェネレーションXの トニー・ジェイムスにより結成された[5][6]。ジェイムスはまずギターのニールX(英語版)を誘い入れると次に理想のボーカリストを探した。元クラッシュのミック・ジョーンズに薦められて、近所にいたアニー・レノックスとセッションを行なったこともあった。素晴らしいボーカリストだったが、女性ボーカルはジェイムスの構想と違ったため加入には至らなかった[7][注釈 1]。いつ終わるとも知れない理想のボーカリスト探しに不安を感じていたある日、ロンドンのマーケットで偶然ボーイ・ジョージのルームメイトだった[8]マーティン・ディグヴィル(英語版)を見つけた。ディグヴィルはファッションデザイナーでバンドの衣装担当も兼ねた[9][10]。週末ごとに彼のブティック、ヤヤに集ってはストリートの若者たちを眺めスカウトのチャンスを伺った。パリでのファースト・ギグには 元ニ

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