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メジロブライト 新馬戦の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 君だったのか!「ウマ娘」に登場した〝遅れてやってきた大物〟ツルマルツヨシを「東スポ」で振り返る|東スポnote

    唐突ですが、謝罪いたします。先日、「ウマ娘 プリティーダービー」でメインストーリー第1部の最終章・前編が公開されたのですが、公開日時が発表された段階で名前が明かされていなかったキャラがいました。ヒントは「黄金世代」「遅れてやってきた秘密兵器」。その時点で私は「東スポ競馬」の記事で「ネット界隈ではエアジハードだという声が最も多いですよ」とノンキに書いておりまして、「流星(額の白い模様)がキャラの髪に反映されています」「ほら、エアジハードにはこんなにカワイイ流星が」なんて写真まで載せているのです。一方で、〝答え〟だったツルマルツヨシには全く触れていません。穴があったら入りたい、お恥ずかしい限りです。すみません、新聞社にいる人間ってプライドが高くて謝らない人も結構多いんですが、私、まったくプライドないので謝ります。で、同時に「なぜ華麗にスルーしたのか」を考えたとき、「あ、そうだ」と。私はこういう

      君だったのか!「ウマ娘」に登場した〝遅れてやってきた大物〟ツルマルツヨシを「東スポ」で振り返る|東スポnote
    • 「ウマ娘」のトリックスター!セイウンスカイの幻惑逃亡劇を「東スポ」で振り返る|東スポnote

      「ウマ娘」では、いつもフワフワ、やる気が行方不明なのんびり娘。黄金世代の中で独特の存在感を放つのがセイウンスカイです。「にゃははっ」とかわいく笑いながらトレーナーを手玉にとったり、スペちゃん(スペシャルウィーク)を策で翻弄したりするので、トリックスターとも呼ばれているのですが、実力は本物で、何よりその走りはファンにとって最高のエンターテインメントでした。雲のように自由で変幻自在な逃げっぷりを「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義) 3強の春 セイウンスカイだって、最初からトリックスターだったわけじゃありません(苦笑)。結果的にそういうような勝ち方をするようになるのですが、まずはそこに至る過程、すなわち3歳春をおさらいしてみましょう。デビューは年が明けた1月5日。そこから連勝、しかも6馬身差→5馬身差の圧勝だったのにもかかわらず、それぞれのレースの人気は5→3でした。新馬戦の

        「ウマ娘」のトリックスター!セイウンスカイの幻惑逃亡劇を「東スポ」で振り返る|東スポnote
      • 「ウマ娘」のCMでも話題!〝女王〟メジロドーベルを「東スポ」で振り返る|東スポnote

        「ウマ娘」では孤高のクールビューティー。男性の前で極度に緊張してしまう姿がかわいらしくもあるメジロドーベルは、1990年代を代表する名牝です。父の無念を晴らす血のドラマを見せてくれただけではなく、その圧倒的な脚力で、偉大なる先輩とともに牡馬撃破の夢も抱かせてくれた女王を「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義) 内国産の星 メジロドーベルのデビューは1996年7月、夏の新潟の芝1000メートル。当時はまだ直線1000メートルのコースがありませんでしたから、普通にカーブを回るレースです。印はこんな具合。 何とも微妙な評価の4番人気。で、この新馬戦を2着に3馬身差をつけて快勝し、記者や関係者の評価も上々の中、新潟3歳ステークス(当時は2歳を3歳と呼んでいました)に向かったときの印もやっぱり微妙な感じでした。 理由は血統にあります。ドーベルの父はメジロライアン。GⅠで善戦を繰り返し

          「ウマ娘」のCMでも話題!〝女王〟メジロドーベルを「東スポ」で振り返る|東スポnote
        • 【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第1回)|真里谷

          ******** 第2回(ゴールドシップ) 第3回(トウカイテイオー) 第4回(メジロマックイーン) 第5回(タマモクロス) 第6回(エアシャカール) 第7回(アグネスデジタル) 第8回(キングヘイロー) 第9回(ハルウララ) ******** 「『優駿図鑑』の問題点は、ゲームアプリ『ウマ娘』に便乗しようとするあまり、そこに未登場の馬についてはまるで触れていない点が最も大きい」 本稿の結論を最初に提示すると、そこに行き着くでしょう。 また、情報の誤記載、名馬に対する悪辣な評価といったものも目立ち、その内容について検証するため、この記事を作成しました。 私、ハンドルネーム真里谷は現在ライターをやっており、かつてはソーシャルゲームのデバッガーや、大学の講義要項校正、さらに一般企業の入社案内の校正などを担当してきました。競馬の知識は浅く、キャリアとしても人間としても未熟なところが多いですが、それ

            【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第1回)|真里谷
          • 《25年前のダービー》「(皐月賞は)フロックだと言われましたが、正直、ぼくもそうかな、と」大西直宏の騎手人生を変えた“18番”のサニーブライアン(島田明宏)

            メジロブライト、ランニングゲイル、シルクジャスティス、サイレンススズカ…名だたる人気馬を抑えて1997年のダービーを制したのが、サニーブライアンだった。騎手・大西直宏が「やり尽くした」と語った名勝負を振り返る。有料公開されていたSports Graphic Number 927号(2017年5月18日発売)『プレイバック戦国ダービー 大西直宏&サニーブライアン「あの一戦でやり尽くした」』を特別に無料公開します(肩書きなどはすべて当時)。 1997年春の牡馬クラシック戦線は実に混沌としていた。前哨戦をざっと振り返ると、きさらぎ賞はヒコーキグモ、共同通信杯はメジロブライト、弥生賞はランニングゲイルが優勝。4勝馬が不在で迎えた皐月賞で1番人気に支持されたのはメジロブライトだったが、11番人気のサニーブライアンの逃げ切りという波乱で幕をあけた。 ダービーでも、押し出されるような感じでメジロブライト

              《25年前のダービー》「(皐月賞は)フロックだと言われましたが、正直、ぼくもそうかな、と」大西直宏の騎手人生を変えた“18番”のサニーブライアン(島田明宏)
            • テイエムオペラオーとは [単語記事] - ニコニコ大百科

              テイエムオペラオー単語 234件 テイエムオペラオー 2.6万文字の記事 67 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要血統生涯評価戦績血統表関連動画関連コミュニティ関連項目脚注掲示板 2000年、有馬記念。 勝ち続けると、すべての馬が敵になる。 その馬は、完全に包囲された。 道は消えたはずだった。 テイエムオペラオー、お前はなぜ走れたのか。 "年間全勝のレジェンド" その戦いに、人は夢を見る。 さぁ、夢を見よう。 ――2013年有馬記念CMより テイエムオペラオー(英: T.M. Opera O、中: 好歌劇)とは、1996年生まれの日本の競走馬。GI7勝。長く世界最高獲得賞金記録を保持し、「世紀末覇王」と呼ばれた。北斗の拳は関係無い。あっちは世紀末覇者だ。 主な勝ち鞍 1999年: 皐月賞(GI)、毎日杯(GIII) 2000年: 天皇賞(春)(GI)、宝塚記念(GI)、天皇賞(秋)(

                テイエムオペラオーとは [単語記事] - ニコニコ大百科
              • 同「厩」生と交わした約束~エリモダンディー・シルクジャスティス〜

                1990年代中ごろから、日本の3歳クラシック戦線は、サンデーサイレンス産駒vsブライアンズタイム産駒の戦いの歴史だったといっても過言ではない。1994年にナリタブライアンが牡馬三冠を達成し、牝馬でもチョウカイキャロルがオークスを制した翌年、サンデーサイレンスの初年度産駒が大爆発。その翌年からも牡馬・牝馬のクラシックを席巻し、以後もその戦いがおよそ10年ほど続いた。 いうまでもなく、それらの中には、クラシックを勝てなかった馬や、古馬となってからもGⅠを勝利することができなかった馬はたくさんいたが、重賞戦線で活躍しバイプレイヤーとして名を馳せた馬達もまた、多数存在した。 1996年、栗東の大久保正陽厩舎には、大黒柱のナリタブライアンと同じ、ブライアンズタイムを父に持つ牡馬が2頭いた。一頭は、早田牧場出身という肩書きも同じだったが、ずんぐりむっくりで見栄えのしない馬体の持ち主。もう一頭は、馬体重

                  同「厩」生と交わした約束~エリモダンディー・シルクジャスティス〜
                • マルゼンスキーとは [単語記事] - ニコニコ大百科

                  マルゼンスキー単語 78件 マルゼンスキー 1.2万文字の記事 36 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要血統表関連動画関連コミュニティ関連項目掲示板 そのひと走りひと走りに、偉大なる名血の片鱗をターフに散りばめた豪傑がいた。 マルゼンスキー。 八戦全勝という無敗の成績が物語る通り、他をはるかに圧倒する強さが余りに印象的だ。 卓越した瞬発力と比類なきスピード。それは英国三冠馬に輝く父ニジンスキーへ 脈々と続いてきたネアルコ血脈、その真の後継者の証しでさえあった。 不滅の名血馬マルゼンスキー。 私たちは心待ちにする、彼の産駒がクラシックを制する瞬間を。 JRA「ヒーロー列伝」No.6 マルゼンスキー マルゼンスキーとは、1974年生まれの日本の競走馬、種牡馬であったサラブレッドである。愛称は1970年代後半のブームを反映した「スーパーカー」。 主な勝ち鞍 1976年:朝日杯3歳ステークス

                    マルゼンスキーとは [単語記事] - ニコニコ大百科
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