1945年、日本の敗戦により太平洋(大東亜)戦争が終結し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命でいっさいの軍事活動が禁じられると、それまで陸海軍の研究機関や軍需産業に従事していた多くの技術者が一般の産業分野に流れ込み、戦後日本の復興に大きく貢献した。 その技術移転の範囲はきわめて多岐にわたるが、「世界一優秀」と称される鉄道技術の分野においても、技術者たちが戦時中培った技術や理論を基礎に、重要な役割を果たしている。特筆すべきは、かつて「夢の超特急」といわれた東海道新幹線の開発に際して生かされた、戦時中の航空技術者たちの研究の成果だろう。なかでも「人間爆弾」とよばれた特攻兵器桜花を設計した三木忠直は、重い十字架を背負いつつ、平和産業の象徴ともいえる新幹線の車両開発に執念を燃やした。 「桜花」はどのように生まれたのか 海軍航空技術廠長の和田操中将から設計課主任・山名正夫技術中佐のもとへ、「グ