これってなんで後者だけ炎上したん? インフラを仮想敵(貧乏人/男)に丸投げしてるのはどっちも同じですよね。
溜飲を下げているのは誰だろうか? ~「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由~ の考察 昨日話題になった記事であり、記事を書いた人はベンジャミン・クリッツァー氏という方で、倫理学やジェンダー論、ポリコレなどに関する文章を書いている批評家の方である。 この記事の内容を読んだ第一の感想としては「かなりひどいな」といったところが、第一印象であった。男性学などの現状に関してそれなりの認識はしており、批判点も熟知しているようではあるのだが、話が進むにつれて彼は本当に批判する気があるのか?という気になってきたのである。(記事を読んだ後に彼の運営しているブログの名前を見て、よりそれを感じることにもなった。) 彼の文章には、実に小賢しいほど言葉を選んで記述がされており、紐解けば実に都合のいい話につなげるための論理を構築しているに過ぎないと判断できる。 1 制度と実存
幸福な若者たち若者は「幸福」になったという。社会学者・古市憲寿は「絶望の国の幸福な若者たち」(2011年9月)の中で内閣府「国民生活に関する世論調査」の「現在の生活に対する満足度」において20代の満足度が他の年代と比べて相対的に高まったことを示し「若者は幸福である」と主張した。従来からの「若者は不満をもつものである」というステレオタイプを否定し、新たな若者像を提示することに成功した。 「若者が幸福になった」という古市の主張は、統計数理研究所「日本人の国民性調査」においても確認できる。「生活全体の満足度」において、全体と20代の差が2003年から2008年にかけて約7ポイント縮小している。 また社会に対する「満足度」においても、全体と20代の差が2008年から2013年にかけて全体よりも20代の方が高くなった。 若者は2010年前後から「幸福」になっているようである。 幸福な若者の自己肯定感
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