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東郷昌和の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン

    ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校

      「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン
    • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

      ミュージシャン、そしてファッションデザイナーとしても活躍した高橋幸宏が誤嚥性肺炎のため1月11日に亡くなった。享年70。「ライディーン」など数々の名曲を世に送り出した彼の足跡を、公私ともに親交の深いライターが振り返った。 【画像】高橋幸宏が遺した数々の作品を見る ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自

        「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
      • 高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

        イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)やサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして世界的な名声を集めたドラマーでシンガー・ソングライターの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎により死去したことが15日、分かった。70歳。東京都出身。葬儀は家族葬として行われた。 【写真】2022年6月6日の70歳の誕生日に自宅での写真と共に「みんな、本当にありがとう。」と感謝 ◇  ◇ 高橋さんは細身から生み出す正確無比で繊細なビートと卓越したファッション感覚で、ドラマー像、ロックミュージシャン像を革新した。75年、ミカバンドの英国公演ではイブ・サンローランの靴を履いて演奏。「客席から見えるはずはないんだけど、それでいい」と美学を貫いた。 小5でドラムをたたき始め、中学時代に早くも兄・信之のバンド「ザ・フィンガーズ」で代演を務める早熟ぶり。音楽仲間

          高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
        • TOKYO BACKBEAT TALK〜林 立夫✖️高橋幸宏〜 | ドラマガWeb

          1960年代から続く東京バックビート族対談 1950年代、東京に生まれ、歳の離れた兄を持ち、私立校に通い、バックビートに魅了された林 立夫と高橋幸宏の2人。その出逢いから共に過ごした学生ライフ、バックビート音楽体験、ドラマーとしての共通点、そして現在の関係まで、気の置けない2人のリアルトークをご堪能あれ。 兄世代の影響と違和感そしてロック中高大学生のリアルライフ ●そもそもお2人の出逢いのときのお話を聞かせていただけますか? 高橋幸宏 もともと高校1年のときにブッダズ・ナルシィーシィーというバンドを作ったんですけど、兄貴(フィンガーズの高橋信之)たちが慶応の風林火山のトップだったとき、軽井沢の三笠ホテルで主催したパーティーに僕らのバンドも出演したら、バーンズ〔註1〕のトラ(代役)のベースとして来ていた細野(晴臣)さんに出逢って、そのあと東京に戻ってきてから、細野さんに林と(鈴木)茂と小原(

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