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火野葦平 中村哲の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 【中村哲という生き方】㊤「誰もが行きたがらぬところへ」 | 西日本新聞me

    無医地区の渓谷に診療所を開こうと、隣国パキスタンから峠を越えて調査を続けていた時期のこと。傷は浅く、持ち歩いていた医療器具で自ら縫った。「かすり傷。大したことじゃなかったですね」 中村さんは1984年にパキスタン北西部ペシャワルの病院に赴任。その後、戦乱に追われたアフガン難民の苦境を知り、両国で診療所を展開していく。 転機は、2000年にアフガンで起こった大干ばつだった。乾きと飢えの犠牲者の多くは幼児。診療所の列を待つ間に腕の中で子どもが息絶え、ぼうぜんとする母親の姿は珍しくなかった。「もはや治療どころではない」。やむにやまれず土木の勉強を一から始め、00年に井戸を、03年からは用水路を掘り始めた。 アフガンの治安は最悪だ。安全確保には細心の注意を払ってきた。近年は原則として宿舎と作業現場を往復するだけ。車で移動中に少しでも渋滞したら、ライフルを持つ護衛が荷台から飛び降りて交通整理を行った

      【中村哲という生き方】㊤「誰もが行きたがらぬところへ」 | 西日本新聞me
    • リアル - シーちゃんと

      ロシア人女性のTwitter 見つけた 偶然 日本に住んでいて 日本語でツイートしてる ほぼ奈良美智さんのつぶやき くらいしか 覗かないので そちらのリツイートで… ソ連崩壊後も 堪えて 忍んで 黙って生きる それが ロシアのリアル…😿 日本人も 総理大臣を自分で選んでるって 実感することは不可能だけれど 比較にはならない もどかしいとさえ 思うことできない異常な大統領が 君臨してる国 わかってたきもちでいた でも まったく わかっていなかった それでも 国民すべてがいま 非難されるのは間違っている と こころが痛んだ わかってはいないこと これまた わかっていない日本の戦前戦中に 例えるのは とうかな? とおもうけれど ある国々においては いまだ戦時下にある と感ずる 女性や子どもの 動物たちの 痛ましい現状を知らされると… 宣戦布告無しの不意討ちの侵攻の 恐ろしさが迫る… 一日 一日

        リアル - シーちゃんと
      • 人間中村哲をつくったもの - 高世仁のジャーナルな日々

        近くの公園にて。 色彩のグラデーション 紅葉の中、ツワブキ、サザンカが花をつけている。 節気は大雪(だいせつ)。真冬の到来だ。 初候「閉塞成冬」(そらさむく、ふゆとなる)が7日から。12日から次候「熊蟄穴」(くま、あなにこもる)。17日から末候「鱖魚群」(さけのうお、むらがる)。 ヒグマがサケをくわえた木彫りを連想させる。海で大きくなった鮭が故郷の川に一斉に帰って産卵し、水しぶきを上げながら遡上する鮭に熊がかぶりつき、たらふく食べて脂肪を蓄え、冬眠に入る・・。 季節の移り変わりを背景に、生態系が大きく循環していく。 ・・・・・・・ 中村哲先生の生き方には、みな感銘し驚嘆するのだが、こういう人格がどうやって形成されたのか。私も不思議に思ってきた。 私は数年前、アフガンの取水堰のモデルとした山田堰を取材したさい、中村さんにお会いしたのだが、腰が痛くて椅子に座ることもできないのに、それに全く頓着

          人間中村哲をつくったもの - 高世仁のジャーナルな日々
        • 重み - シーちゃんと

          明日は 中村哲さんの 亡くなった日 銃撃されて 突然 奪われてしまった いのち かなしい かなしい… さみしい 小柄な おもしろいおじさん やさしいひと やけに 熱い人間 と 本を読んだり テレビは みないんだけど 録画しておいたりして 追っていた 真実に触れるたび 驚いていたなあ… 打たれた 中村哲さんの 伯父さん火野葦平さんのこと その本のこと パパから ずっと聞かされてた これは 終末の病院の個室でも 最後まで つづけられた 自分の病の時に ハンセン病治療に尽力した 神谷美恵子医師の本を読んでいた 生きる意味? 見失ったような気がして… アフガニスタンの ハンセン病患者たちへの 中村哲さんの 医師としてだけではない 日常的な自然なおもいやりに その継続に 胸がいっぱいになった なんか勝手に 親戚のおじさんみたいに 親しみを抱いていた わずか二十歳のわたしが 入院中に すでに難解な本の

            重み - シーちゃんと
          • 中村医師しのび国内外から追悼の声 | NHKニュース

            混乱が続くアフガニスタンで襲撃され死亡した中村哲医師。長年現地で用水路の整備や農地の再生などに力を尽くしてきた功績をしのび、国内外から犯行を非難する声とともに追悼の声が上がっています。 国連のデュジャリック報道官は、4日の定例記者会見の冒頭、声明を読み上げ、「われわれは人々の尊敬を受けていた中村哲氏の殺害を非難する。アフガニスタンでもっとも弱い立場にいる人たちを助けることに人生の大半をささげた人間に対する無分別な暴力行為だ」と述べて、中村さんの功績をたたえるとともに殺害を強く非難しました。 報道官はさらに、アフガニスタンでは、UNDP=国連開発計画のスタッフが先月首都カブールで殺害されたことに改めて言及し、2日、国連アフガニスタン支援団の山本忠通事務総長特別代表が政府の治安責任者に面会し、人道支援関係者の安全確保に万全を期すよう要請したばかりだったことを明らかにしました。 福岡県古賀市にあ

              中村医師しのび国内外から追悼の声 | NHKニュース
            • 虹 - シーちゃんと

              節分 昨年の 節分 昨年の今日を おもい 迷子になってる自分 おもった 一年 生きた と おもった ネズミ 再襲撃 泣きながら 狂ったみたいに ものの山や壊れた家具と 死闘してた まだ 全部は捨て切れていない アレルギーで 口のまわりは 裂けて 血が出て 亀裂が傷になって 赤く線になってて いまも じくじくしてる… りんご しみる 眼の炎症が定着した 暗がりにいたくて 暗くして 自分が 自分を傷める 自己免疫体質の暴走 鎮まってくれるのを じっと じっと 待った夏 ここの ブログの平和も 壊された かなしい ずっと かなしい アフガニスタンの 中村哲さんが水路をひいた大地には 緑の農地が さらに ひろがっているという アフガニスタンに 中村哲さんの こころが 生きてる うれしかった… 中村哲さんは パパからの つながり わたしが二十歳で読んだ パパの本棚にあった古い本 中村哲さんの叔父の火

                虹 - シーちゃんと
              • 「武器でなく、私たちはクワで平和を実現しよう」中村哲さんの熱き言葉 | 毎日新聞

                地図を示してアフガニスタンの干ばつ状況を説明する中村哲さん=福岡市中央区春吉1のペシャワール会事務局で2018年11月16日、中村敦茂撮影 「武器を取る者は取れ。私たちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすれば、そんな思いで続けています」。帰国している時の中村さんはぼくとつを絵に描いたような人だ。だが、言葉は熱い。大国による駆け引きの道具のような机上の和平案や見栄えだけの国際援助をばっさりと切り捨て、時に文明論の様相も帯びた。現地の人々の命と、そのために行動することを最優先にした人だった。 作家の火野葦平は母方の伯父にあたる。火野の小説「花と竜」で、気の荒い港湾労働者をまとめ上げて生活向上のために闘う主人公は、中村さんの祖父、玉井金五郎がモデルだ。祖父の肝っ玉と伯父の文才を受け継ぎ、幼い頃から「親のことはいいから、人のために生きなさい」との教えを受けた。政情不安や貧しさの中で病む人々の

                  「武器でなく、私たちはクワで平和を実現しよう」中村哲さんの熱き言葉 | 毎日新聞
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