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肥前藩の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 長崎新幹線で注目、九州の交差点「鳥栖」の岐路

    九州新幹線長崎ルートの協議が佳境を迎えている。「西九州ルート」とも呼ばれる同新幹線は、博多駅―鹿児島中央駅間を結ぶ九州新幹線(鹿児島ルート)を新鳥栖駅から分岐させ、長崎駅までを結ぶ構想だ。 以前から九州、主に福岡県・佐賀県・長崎県の3県知事や沿線の市町村長が国土交通省などと協議を続けてきた。しかし、長らく議論は平行線をたどってきた。合意形成が見られない理由は、新幹線が開業しても現行の特急と比べて時短効果が少ないことが挙げられる。 例えば佐賀県の鹿島市は、特急「かもめ」が玄関駅の肥前鹿島駅に1時間当たり1〜2本発着するが、長崎ルートが全通すれば、これらの特急は廃止される可能性が高い。市内に新幹線駅を設置する計画はない。同市や佐賀県から見れば、長崎ルート全通の代償は大きい。 すったもんだの末、2022年秋に長崎駅―武雄温泉駅間の暫定開業が固まった。だが、武雄温泉駅―新鳥栖駅間のフル規格整備につ

      長崎新幹線で注目、九州の交差点「鳥栖」の岐路
    • 版籍奉還で封建制度を廃滅させようと考えた伊藤博文と大隈重信

      誕生したばかりの明治政府は軍隊を持たず資金も乏しかった 江戸時代、各藩主は代替わりごとに領地の所有を徳川幕府に認められていたのだが、幕府が瓦解し王政復古となっても、全国の諸大名は旧来の土地と人民を持ち、家臣を従えて、その力は中央政府の存在を脅かすに足るだけのものがあった。 井上馨の伝記である『世外井上公伝. 第一巻』に、明治新政府が成立したばかりの頃に、版籍奉還論が出てきた事情についてこう記されている。 新政府樹立の当座、旧幕府の返還した直轄地の歳入八十万石と、奥羽諸般から没収した土地歳入二十万石を以てしては、政府の経費全部を支弁し得ないのであるから、政府が王政復古を計画しても、その目的は実際には達成し得ない。しかもなお三百の諸侯が依然旧によって土地人民を領有し、各々兵馬の権を握り、あたかも独立割拠の形勢を持して政府を掣肘しようとする状態が存していた。そこで復古の理想たる全国を挙げて王土と

        版籍奉還で封建制度を廃滅させようと考えた伊藤博文と大隈重信
      • 明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか

        明治十七年(1884年)に山崎之人が著した『維新元勲十傑論』という本がある。この本において著者は明治維新に尽力した志士の十人として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、江藤新平、横井平四郎(小楠)、大村益次郎、小松帯刀、前原一誠、廣澤兵助(眞臣)、岩倉具視を挙げて、それぞれの伝記を記している。これらのメンバーのうち横井、大村、廣澤の三人は明治の初期に相次いで暗殺されており、そのうち大村、廣澤は長州藩の人物である。 廣澤眞臣 (Wikipediaより) 明治二年(1869年)に起きた横井小楠暗殺事件、大村益次郎の暗殺事件についてはすでにこのブログで書いたのだが、この二件については暗殺された事情も一通りわかっていて、その下手人も捕らえられ処刑もされている。しかしながら、明治四年(1871年)の一月に起きた廣澤眞臣(ひろさわ さねおみ)の暗殺事件については、彼が何のために暗殺され、下手人が誰であった

          明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか
        • 明治六年に政府がキリスト教禁教の高札を撤去した経緯

          明治元年の浦上のキリスト教徒の移送と諸外国の抗議 前回の「歴史ノート」で、長崎で捕えられたキリスト教信者の大規模な処刑が行われるという風説が流れ、明治政府は欧米諸国から強硬な抗議を受けて、大阪本願寺にて政府代表の大隈重信と英公使パークスと談判したことを書いた。 この談判が終わってしばらく外国からの抗議も一旦止んだが、政府としては国禁を犯しているキリスト教徒の処分問題の解決を急ぐ必要があった。長崎裁判所では中心人物の斬首など厳刑に処す方針であったのだが、それを実行すれば重大な外交問題に発展することは火を見るよりも明らかであった。 政府はこの問題を何とか穏便に解決させようと、木戸孝允を長崎に出張させている。木戸は明治元年(1868年)五月十三日以降三回にわたり長崎裁判所の澤宣嘉総督、井上馨らとこの問題について協議の末、同月二十一日に信徒の中心人物を津和野藩へ二十八人、長州藩へ六十六名、福山藩へ

            明治六年に政府がキリスト教禁教の高札を撤去した経緯
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