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軍用道路 意味の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 【クレフェルト著『補給戦』への各専門家からの批判】 : 戦史の探求

    戦史の探求 戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。 クレフェルト氏(Martin Levi van Creveld)はイスラエルの軍事研究者であり、1977年に彼が発表した『Supplying War: Logistics from Wallenstein to Patton』は大きな反響を生んだ。補給戦というタイトルで邦訳もあり、ロジスティクス分野の歴史を扱ったものとしては最も知名度のある本だろう。その内容は特に近世欧州からWW2までの軍補給発展史を著述、体系化しており、わかりやすいものとなっている。 ただ、知名度を得たからこそ各専門家たちの目に触れ、そして詳細な批判を受けることになった。相当数の誤りを含んでおり、発行から約半世紀たった現在では安易に引用してよい書籍ではないことが明らかになって

      【クレフェルト著『補給戦』への各専門家からの批判】 : 戦史の探求
    • 中国による小国ブータンいじめは、南アジアを不安定にしている - 黄大仙の blog

      中国とブータンの間では、1984年から国境問題をめぐる交渉が行われてきましたが、いまだに結論は出ていません。両国は先月、交渉の迅速化と外交関係の促進を目的とした覚書に署名しましたが、専門家は、中国が近年、ブータンの領土をじわじわ侵略していると批判しています。 アメリカに拠点を置く、世界中の華人向けメディア世界新聞網の記事より。 中国がブータン国内に勝手に建設した村 インドの地政学専門家ブラーマ・チェラニー氏の分析によると、ブータンは世界で最も小さく人口の少ない国の一つであり、人口は77万8千人しかいません。 中国とブータンは、1998年に「国境の現状を変えるために一方的な行動をとらない」との二国間条約を結んでいますが、中国は条約に違反してブータンを侵略しています。 ブータンは中国とインドという2つの大国に挟まれており、その文化と宗教は、1950年に中国共産党に侵略されたチベットの影響を強

        中国による小国ブータンいじめは、南アジアを不安定にしている - 黄大仙の blog
      • 高蔵山堡塁(ほるい)跡をたずねる 福岡県北九州市小倉南区大字吉田 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

        『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102-103を拝読して、日清戦争後につくられた高蔵山堡塁(たかくらやまほるい)の跡にいってみました。山中にあるため、なかなかここまで行く時間がとれませんでしたが、平日に仕事の休みがとれた2021年9月21日(火曜日)に、じっくり堡塁跡までせめることができました。 場所:福岡県北九州市小倉南区大字吉田 座標値:33.8575946,130.9321605 高蔵山堡塁の倉庫群 9月21日におとずれる前の別日に、一度、この堡塁跡まで行こうとしましたが、想像していたよりも道中が荒れていたため、途中で断念しました。高蔵山堡塁跡までのルートをネットや地形図で確認し、再度、挑戦することにしました。 基本的に、昔つかわれていた軍用道路をたどって堡塁跡までいくことができます。しかし、軍用道路だけをつかって堡塁跡まで行こうとすると、おおきく遠回りを

          高蔵山堡塁(ほるい)跡をたずねる 福岡県北九州市小倉南区大字吉田 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
        • 香港の村で茶をしばく - 亞的呼聲 Adiffusion

          オミクロンくんの登場で再びかなり遠い場所になってしまった都市の*1、食べたいもの食べに行きたい場所のことを、記憶を頼りに書き留めていこうと思う。中央政府が「清零(ゼロコロナ)」方針を放棄しない限り、そして香港政府が内地との往来を優先する以上、恐らくは来年以降もずっとこんな調子なのだろうなと思うと暗澹たる気分になってしまうが…… はじめに 茶の向こうに人それぞれの生活がある。牛池灣村・新龍城茶樓 茶樓で飲茶。嶺南に来た人なら必ず享受すべきコンテンツでありインフラだが、市區(都市部)のちゃんとしたところだと値段もそれなりにして、(特に僕のような無産階級にとっては)気軽に楽しめるものではない。また、點心車(カート)形式の店などでは人気の点心が出るとすぐに客同士の争奪戦になってしまうし、常に人が出たり入ったりしているので慌ただしく、あまり長居もできないのだ(そういう熱気が感じられるのも香港らしさか

            香港の村で茶をしばく - 亞的呼聲 Adiffusion
          • 新藏公路を経てサガダワ祭の聖地カイラス/マナソワール、聖都ラサへ - 青い滑走路

            ヒマラヤは古代インドの言葉・サンスクリット語ではヒマ・アラーヤ、雪の住処を意味する言葉です。地球上で最も高い標高を有するヒマラヤ山脈は西はパキスタン北部カラコラム/ヒンドゥークシ山脈に繋がるインダス川源流域より、東はブマプトラ川が西へと流れを変える大屈曲部に至るまでの東西2,000キロを超す巨大な山脈です。そのヒマラヤ山脈の北部に横たわる広大なチベット高原には多くの氷河が存在し、北極と南極に続く大規模な氷を蓄積する「第三の極」とも「世界の屋根」とも呼ばれております。 一番上に置いた写真はシスパーレ(7,610m)等の七千メートル級の山々に囲まれた北部パキスタンにあるパス―大氷河で、その次のは中国雲南省北部のヒマラヤ山脈へ続く雪山は五千メートル級を誇る山脈です。今回はそのヒマラヤ山脈を超えた北側に広がるチベット高原を妻と旅行した話しをユルユル/溜溜と書いてみました。掲載している写真のうち色褪

              新藏公路を経てサガダワ祭の聖地カイラス/マナソワール、聖都ラサへ - 青い滑走路
            • GHQが焚書処分したナチス研究書1~~深尾重正著『ナチスの放送戦争』

              大半がGHQによって焚書処分されたアルス社の『ナチス叢書』 前回はヒットラーの著書を紹介したので、今回はナチスに関する研究書を紹介することとしたい。 今は存在しないが、かつて株式会社アルスという出版社が存在した。詩人として有名な北原白秋の弟・北原鐵雄が創立した会社で、昭和15年から16年にかけて『ナチス叢書』を刊行している。上の画像がそのシリーズの広告で54点が紹介されていて、21点が既刊と表示されているのだが、残りの全点が刊行されたのわけではなさそうである。 CiNii図書で検索すると重複を除くと25点しかヒットしないので、実際に刊行された本は多くても30点程度だと思うのだが、『ナチス叢書』のうちGHQによって焚書処分されている本が24点もあるのには驚かざるを得ない。なぜGHQは、この叢書を狙い撃ちにしたかのように大半を焚書処分にしたのかと誰でも思うところだ。 今回紹介したいのは『ナチス

                GHQが焚書処分したナチス研究書1~~深尾重正著『ナチスの放送戦争』
              • 真珠道(まだまみち) 沖縄県那覇市首里金城町~繁多川(はんたがわ) - 墳丘からの眺め

                前回の玉陵から識名園へは一旦丘を降りて再び上るルートになる。徒歩30分超。 はじめに金城町の石畳道に入る。 壁の角度も、くねり方も良いが、急な傾斜で下るのもきつい。 振り返って。手前の電柱は傾いている。 金城村屋を過ぎて振り返って。 車道を渡って金城橋を越える。 金城橋と識名平(カナグスクハシとシチナンダ)の説明板があった。「平」と書いても「坂」の意と知った。 金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元の位置から少し下流に再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文」の碑が建立された。1945年の沖縄戦により橋も碑も破壊されたが、現在残っている碑の残欠は、1985年の橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。 識名平(シチナンダ)は、金城橋か

                  真珠道(まだまみち) 沖縄県那覇市首里金城町~繁多川(はんたがわ) - 墳丘からの眺め
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