並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 8 件 / 8件

新着順 人気順

鬱病の症状の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • フィリピン人がうつ病にならない理由と対策 : ヒロのフィリピン・セブ島体験記

    ヒロのフィリピン・セブ島体験記 フィリピン・セブ島で10年近く悪戦苦闘、予測不能なフィリピン文化に振り回され、遂にセブ島を脱出。※本ページはプロモーションが含まれています。 フィリピン人は普段はリラックスしていてジョークをよく言う民族なので、真面目にふるまうのが苦手で、シリアスな場面等では日本人以上に緊張すると思います。 例えば 仕事の面接です。私は 何百人のフィリピーナと面接で話しましたが、ほとんどのフィリピーナは緊張のせいで、どもりまくっていました(面接は英語で行ったという点もありますが)。 また、セブ島の病院で働いていた時に多くの営業マン(医薬品の営業)を見かけました。彼らの多くはオフィスに入って来ても緊張やストレスからか、ろくに話もせずに帰っていくフィリピン人営業マンがひじょうに多いのです。早く緊張やストレスから逃げ出したいのでしょうね・・・ こういった場面では “笑顔”や“ジョー

      フィリピン人がうつ病にならない理由と対策 : ヒロのフィリピン・セブ島体験記
    • 弱い私が鬱病になった話 - Bouvardia’s blog

      今週のお題「会いたい人」 叶うならば、父に会ってみたい。私が学生の頃に癌で他界した父親。 今日はクレマチスの日 私の就職先が決まり、ホッと肩の荷が下りたのかもしれない。現役サラリーマンだった父が3月に亡くなり、4月から私は 父と同じサラリーマンになった。社会人として働く私の姿を一度見てもらいたかった。そして、相談してみたいことがこれまでに幾つもあった。父は強い人だった。強く見えた父は、壁にぶつかった時にどんな思いで乗り越えていたのだろう。 歳を重ねた私は、仕事に悩み、疲れて、鬱病になった。 仕事のことは、これまで家族に相談できなかった。母は会社勤めの経験が無い人だし、歳の離れた兄は、私が中学の頃には独立して家にいなかったこともある。 鬱病になった私の姿を見たら、強かった父はどう思っただろう。母をガッカリさせたように、父もガッカリしただろうか。それとも、理解を示してくれただろうか。 鬱病を経

        弱い私が鬱病になった話 - Bouvardia’s blog
      • 「生活保護でも幸せ」を訴える33歳女性の半生(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

        この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。 今回紹介するのは、「生活保護受給者の30代独身女性です。私も声を上げることで、何かの力になれないかと思い、送らせて頂きました」と編集部にメールをくれた33歳の女性だ。 【写真】クレジットカードで200万円の借金をつくった女性 ■鬱病の症状が悪化して入院 西田朋美さん(仮名、33歳)からメールをもらって、彼女の住んでいる神奈川県のある駅前にきた。西田さんは2年前から生活保護を受給、この駅から徒歩圏のアパートで一人暮らし。古い木造住宅で、家賃は住宅扶助の上限よりだいぶ安い。月3万8000円という。 「先月、鬱病の症状が悪化して入院をしたんです。死のうと思っていたのに、いろいろ人に助けられ、退院してか

          「生活保護でも幸せ」を訴える33歳女性の半生(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
        • 平然と他人に責任を転嫁しがちな「誇大型ナルシスト」の特徴

          誇大型のナルシシストは批判されても落ち込まず、平然と他人に責任を転嫁しがちだ(写真はイメージ) skyNext-iStock <人間関係を破壊し、社会に危険をもたらしかねない自己愛者だが、強く生きるにはいいのかもしれない...> ナルシシスト(自己愛者) はその性格上、精神的な回復力が強く、鬱病になる可能性が低い── 。最近の心理学の研究で分かったことだ。 ナルシズムはマキャべリズム(目的のためなら手段を選ばない傾向)やサイコパシー(反社会的な人格障害)と並んで「人格のダークな3大特性」の1つとされ、さらに誇大型と過敏型に分類されている。 誇大型のナルシシストは謙虚さや慎み深さを欠き、自分を誇示したがり、支配欲が強い。対して過敏型のナルシシストは否定的評価に過敏で承認欲求が強く、他者から特別な扱いを求める。 今回の研究では軽度のナルシズムの持ち主はそうでない人よりも「精神的に強い」という主

            平然と他人に責任を転嫁しがちな「誇大型ナルシスト」の特徴
          • 「早く死んでくれればいいのに」家族が手を焼く認知症、統合失調症、鬱病の症状が出た母親の"想定外の病名" 「親不孝だし、縁起でもないことはわかっているけれど」

            【前編のあらすじ】関西出身、関東在住の宮畑修さん(50代・既婚)は、両親と4歳下の弟、6歳下の妹の5人家族。父親は、宮畑さんが14歳の時にがんで死亡。その後は母親が女手一つで子どもたちを養ってきた。宮畑さんが23歳で上京すると、家族とは疎遠に。数十年後の2009年の12月。突然妹から66歳の母親が入院したとの連絡を受け、病院に駆けつけると、母親は別人のようになり、天井を見てヘラヘラ笑っていた。母親を関西の実家に一人で置いておけないと思った宮畑さんは、信州の自宅で介護することを決断。しかし別人のようになった母親は、宮畑さんや妻に、言いたい放題やりたい放題のわがままっぷりを発揮。数日後に妻が疲弊していることに気づくと、宮畑さんは関西の妹にSOSを出した――。 妹のヘルプ 宮畑修さん(仮名・50代・既婚)さんが66歳の母親介護のSOSを出すと、関西在住の妹は、「仕事を辞めて信州に来て、母親の面倒

              「早く死んでくれればいいのに」家族が手を焼く認知症、統合失調症、鬱病の症状が出た母親の"想定外の病名" 「親不孝だし、縁起でもないことはわかっているけれど」
            • 大坂なおみが初の東京五輪切符も、「休んだ方がいい」の声が続出の理由 | AERA dot. (アエラドット)

              五輪切符を手にした大坂なおみ(写真/gettyimages) テニスの東京五輪出場選手が決まる14日付の世界ランキングが発表され、日本勢は女子シングルス2位の大坂なおみが初の五輪切符を手にした。ただ、大坂は、全仏オープンで精神的負担を理由に試合後の記者会見を拒否。2回戦を棄権し、自身のツイッターで鬱病であること発表している。五輪に出場するかは不透明な状況だ。 【チャート】ひと目でわかる大坂なおみの4大大会成績 大坂は5月30日に開催された全仏オープン1回戦勝利後、記者会見を拒否。1万5000ドル(約165万円)の罰金を科せられ、すべての四大大会主催者から連名で「(今後も記者会見に応じない場合は)全仏の失格、他の四大大会出場停止などにもつながりかねない」と警告されていた。この事態に、自身のツイッターで「大会、ほかの選手、私の健康のためにも棄権が最良の選択だと思う。大会を邪魔する要因になりたく

                大坂なおみが初の東京五輪切符も、「休んだ方がいい」の声が続出の理由 | AERA dot. (アエラドット)
              • 【うつ病闘病中のセルフネグレクト本人による提言】鬱の真っ只中で - 山姥の戯言日記

                昨日より数段酷い、泥に埋められたようなうつの感覚。 これが私の本当の精神状態だったようだ。 鬱病治療を初めて1ヵ月余り。 やっと表に出てきた。 自分がわかり始めた。 痛烈で壮絶な鬱の自覚に耐えられず、日中は眠くもないのに横になった。 「意欲がない」状態も今ならよくわかる。 総合すると、生きようとする意欲がないということだ。 死ぬつもりはないが、毎日、これが最後だと思って記録していこうと思う。 能天気にふざけながらでも、思いをしっかり残していこう。 提言はまだまだずっと先にしたかったが、結論だけ記しておく。 「セルフネグレクトはたくさんある『鬱病』の種類の1つ、或いは『鬱病』の症状と位置付けるべきである」 今はまだ根拠や理論を披露する力はない。 そこに向かって自ら立証しようと、治療を始めたばかりなのである。 しかしながら、医師の中にもセルフネグレクトを鬱病の症状と捉えている方もおられるのだ。

                  【うつ病闘病中のセルフネグレクト本人による提言】鬱の真っ只中で - 山姥の戯言日記
                • 東京を諦める旅 - 夏さ、また。

                  仕事が嫌で、行き詰まって、人生がどうしようもなくなったので、有給をとって東京に行ってきました。見たかった丁度博物館の展示が終わろうとしていたし、ボーナスも出たからと言い訳を作って。本当は出版社の面接と、ここ1ヶ月住みたいと言い続けてきた東京へ下見に出かけたのです。 有給申請を渋られながらも会得したのは出発の2日前。そこから友人に連絡して泊めて欲しいと頼み込み、新幹線を予約しました。己の行動力が素晴らしい。 でも結果として、私は東京を諦めた。精神科で貰ってる薬を忘れたからかもしれないが、日に日に鬱屈した気分になり、将来の不安が頭から離れなくなってしまい、この街で暮らしている自分がイメージできなかった。この街で寂しくて、死にたくなってる自分しか思いつかなかったのだ。 人生はどうしようもなく地続きで、ちょっと行動したからって劇的に状況が変わるわけがない。私が陥った日々の辛さは私の問題で、東京に来

                    東京を諦める旅 - 夏さ、また。
                  1