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2002年 北朝鮮訪問の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • エリザベス女王の生涯と日本の出来事を比較してみる - 銀行員のための教科書

    英国の君主として70年に渡り在位してきたエリザベス女王(エリザベス2世)が、2022年9月8日(現地時間)に96歳で亡くなりました。 1926年生まれであり、第二次世界大戦を見届け、その後の英国の世界における地位低下を見てきた歴史の生き証人です。女王が任命した英国首相は14人です。 エリザベス女王の国葬は2週間以内にウェストミンスター寺院で行われる見通しと報道されています。(日本ではツイッターのトレンドに「本物の国葬」というキーワードが入ったそうです) 今回は、エリザベス女王の生涯において、日本でどのような出来事があったのかについて比較してみたいと思います。筆者は、世界史(今回はエリザベス女王史ですが)と日本史の比較をあまり学んでこなかった世代でもあり、比較することにも意味があるのではないかと考えています。 エリザべス女王の生涯と日本の出来事 まとめ エリザべス女王の生涯と日本の出来事 エ

      エリザベス女王の生涯と日本の出来事を比較してみる - 銀行員のための教科書
    • 第73代衆議院議長・第63代衆議院副議長 横路孝弘

      横路孝弘氏は、昭和16年に北海道札幌市で生まれ、昭和44年に衆議院議員に初当選。5期目に北海道知事選挙へ立候補のため衆議院議員を辞職し、北海道知事を3期12年務めました。知事退任後に再び衆議院議員に当選し、知事就任以前とあわせて、12期34年余にわたり衆議院議員を務め、平成17年9月から平成21年7月まで衆議院副議長、平成21年9月から平成24年11月まで衆議院議長を歴任しました。 令和2年から令和4年までの間に記録されたインタビューで、横路氏のこれまでの人生の歩みを辿り、国会での質疑の数々や議員・知事としての政治決断、そして衆議院議長・副議長として担われた重責や当時の想い等を振り返ります。 インタビュー実施期間 令和2年2月から令和4年11月まで(全28回) 口述記録 全体版 上巻一括ダウンロード(PDF:7.14MB) 下巻一括ダウンロード(PDF:7.39MB) 分割版 【上巻】 表

      • 鈴木エイト主筆の統一教会ルポが緊急発刊

        匿名 さんのコメント... 予約した! 2022年8月22日 20:43 匿名 さんのコメント... 40年前に既にKCIAと統一教会について書いていた、 赤旗編集局の「仮面のKCIA」を再出版して欲しいな。 2022年8月22日 20:46 匿名 さんのコメント... 電子書籍の販売予定はありますか? 2022年8月22日 21:46 みつを さんのコメント... 海外邦人のために電子書籍化もご検討ください!! 2022年8月22日 22:13 匿名 さんのコメント... 近藤将勝氏や菅野完氏は買うだろうね。私はレビューを見てからにするよ。 2022年8月23日 6:22 prisoner さんのコメント... 国葬が中止になって「前日」ではなくなると、なおよし。 2022年8月23日 8:39 匿名 さんのコメント... 御出版おめでとうございます。 TVもいいけど、多くの人に手にとっ

        • 大学で教えて実感した、「ニュースを読む学生と読まない学生」の知的格差:朝日新聞GLOBE+

          ■「安倍首相は再登板」知らない学生 私は30年以上前の1989年4月に入学し、93年3月に卒業した。昔のことなのではっきり覚えてはいないのだが、当時の立命館大学国際関係学部の偏差値は、たしか60台の後半から70くらいだったように思う。この30年間で、母校の偏差値はどうなったのか? そこで、2019年版の教育産業各社の偏差値ランキングを眺めてみた。すると、模擬試験を実施している会社によって偏差値は微妙に異なるが、30年前と比べて大きく下落したようには見えない。少なくとも、大学受験という意味においては、入学してくる若者の偏差値レベルが大きく低下したということではなさそうである。 だが、教壇に立つ中で、思わず「え?」と声を上げてしまったことはある。ある講義で、安倍政権が時々スキャンダルに見舞われながらも一定の支持率を維持し続けている理由について考察した時のこと。私は「安倍晋三首相が1度目の政権で

            大学で教えて実感した、「ニュースを読む学生と読まない学生」の知的格差:朝日新聞GLOBE+
          • 〈電撃訪朝から20年〉北朝鮮を訪れた小泉純一郎が「金正日には『もう会わなくていい』と…」日朝平壌宣言の“知られざる裏側” | 文春オンライン

            2022年は、歴史的な「小泉訪朝」から20年の節目となる。それまで拉致被害者の存在を頑なに否定していた北朝鮮当局と金正日がこれを認めて謝罪し、一部被害者の方の帰国が実現したことは、多くの人々の記憶に焼き付いていることだろう。 ここでは、1990年の金丸訪朝から2002年、04年の2度の小泉訪朝までの北朝鮮外交に従事した外交官・山本栄二氏の著書『北朝鮮外交回顧録』(筑摩書房)から一部を抜粋。金正日が拉致を認める第1次小泉訪朝の知られざる裏側を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く) 第1次小泉訪朝――先遣隊として平壌に入る 夏が終わろうとする季節のある朝、ニューヨーク郊外の自宅から車を運転し、マンハッタンにある国連本部の駐車場に入ろうとしていたときである。東京の平松賢司北東アジア課長から携帯に電話があった。 「ニュース見た?」「いいえ。どうしたんですか? 突然」「総理が平壌を訪問すること

              〈電撃訪朝から20年〉北朝鮮を訪れた小泉純一郎が「金正日には『もう会わなくていい』と…」日朝平壌宣言の“知られざる裏側” | 文春オンライン
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