京阪電気鉄道5000系の引退を惜しむ声が多く聞かれる。『鉄道ピクトリアル』では特集まで組まれ、全国でここだけとなってしまった5扉以上の多扉車の意義と歴史を振り返っている。混雑との戦いに追われていた過去の通勤電車の時代を懐かしむ一方、時代の変化により消えなくてはならなかった宿命もある。 電車のドア数を多くして乗降をスムーズにし、通勤ラッシュを少しでも円滑にさばこうとした考えが生まれた一方、信号設備の発展や複々線化により、多くの列車を走らせることができるようになり、多扉車の存在意義は薄れた。 近年は安全対策のため、ホームドアを導入する路線が増え、車両によりドアの数が違うというのも問題となった。そして消えていった。 なぜ多扉車は生まれたか、そして消えたのか 日本初の5扉車である京阪電気鉄道5000系は、1970年に生まれた。増え続ける通勤客を高効率でさばくため、ドアの数を多くし、乗り降りをしやす