桜を見る会【前夜祭】 「総理の潔白を信じたい」「下関や山口県の名誉回復をしたい」と総理のお膝元の有権者たちが12/25日 安倍事務所に申し入れをしました。 なぜ5000円の領収書が出てこないのか。「1枚でも良いので領収書のコピ… https://t.co/AAODeye3Tn
八幡西区本城東カジュアルレストラン「りんでんばうむ」 夕食を食べに カジュアルレストラン りんでんばうむ(Lindenbaum)へ来ました。 妻は釜めし&サイコロステーキ1859円↑ 釜めしの具材は、鶏肉、しいたけ、錦糸卵、カニカマ、ごぼう、人参、グリーンピース、御飯多めです。 サイコロステーキもやわらかで美味しいそうです。おろしだれにつけていただきます。 辛味噌がついてきたので、味へんに使用、ちょうどいい辛さで御飯がすすみます。 フライドポテトとコーンが添えられて、ボリューミーです。 僕はチーズハンバーグとチキン南蛮セット1793円↓ とろけるチーズと柔らかいハンバーグそれとトマトのソースがマッチしてお肉のおいしさを引き出しています。チキン南蛮もタルタルソースをつけて食べると、白いご飯が進みます。お腹いっぱいになりましたが。完食しました。 お隣の「菩提樹」さんとは姉妹店だったと思います。
すっかり秋めいて来ましたね🍁 ブログを見に来てくれてありがとうございます😊 北九州で子育て中‼️お出かけ大好き❤Qママです‼️ 前回の記事で、むさしの森珈琲のご紹介をしました。 今回は、同じ敷地内にある、ゆめマート青山店の、超便利なお買い物カートのご紹介です🛒✨ ✨4歳児とのお買い物✨ 絶賛赤ちゃん返り中の4歳シュウ子😭 「ママと上の子、二人だけの時間を作るのが有効」と他の方のブログで拝読したので、0歳イチ太を預けて二人でお買い物に行ってきました😊 ✨もっと早く知りたかった!便利なお買い物カート✨ Qママは初めてこんなカートを見ました‼️最近できた種類なのでしょうか🤔? このカート、4歳児とのお買い物にめっちゃめちゃ便利なので、ご紹介させていただきますね🤗 ✨ゆめマート青山店にはどんなカートがある?✨ なんと、こちらには5種類の子連れ用カートがありました!こんなに種類あるスー
日本ではじめて立体交差駅ができたという珍しい歴史をもつ折尾駅(おりおえき)。2021年(令和3年)1月3日に、JR折尾駅の新駅舎が開業しました。折尾駅をふくむ折尾地区周辺において大規模な整備が、2006年(平成18年)からおこなわれています。この整備は2025年(令和7年)までには完了する予定で、この事業の一環として折尾駅関連施設のリニューアルもおこなわれています(参照:北九州ホームページ 折尾地区総合整備事業について)。 場所:福岡県北九州市八幡西区堀川町 折尾駅が新駅舎となる前、とても複雑な構造の駅でした。駅ホームが立体交差しているという複雑怪奇な構造をもっていたのです。なぜそのような構造となったのかは、「複雑な歴史をたどったJR折尾(おりお)駅」という2021年2月17日の投稿でご紹介しました。 複雑となった理由をざっくりというと、異なる鉄道会社がひいた線路が交差していて、のちの時代
『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102に紹介されている”九州電気軌道境界石”を訪ねてみました。九州電気軌道は1911年(明治44年)から線路が敷かれはじめ、1929年(昭和4年)までの18年間に約40㎞の路線が完成しました参照。 わたしも、通学などで、たびたびこの電車を利用していた覚えがあります。「到津(いとうづ)の森公園」という北九州市の動物園が、まだ西日本鉄道運営の「到津遊園」だったころがあります参照。到津遊園で夏期開催されていた林間学校へ、電気軌道で通っていた記憶がかすかにあります。その記憶はたのしく、ふんわり温かい記憶として残っています。 下の写真の”境界石”は八幡西区 陣原(じんのはる)にある旗頭神社の北側の路地端にのこっています。 境界石には「九州電気軌道」の文字をとって「九軌用地」と刻まれています。 場所:福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目 座標値:
北九州市八幡西区の則松(のりまつ)という地区に、則松小学校があります。この学校、もともとは別の場所にあったことが、ひょんなことからわかりました。地元のかたから小学校の昔話をきいたのです。 参照:高見神社の土俵と旧則松小学校の跡を探る 現在の則松(のりまつ)小学校は、「福岡県北九州市八幡西区則松2丁目1−1」にあります。開校当時の則松小学校は、現在の「則松公園がある場所(福岡県北九州市八幡西区則松6丁目7)」にあったということです。 この、旧則松小学校があった場所に、なにか小学校の痕跡がないか調べにいってみました。旧則松小学校があった場所…つまり、現在の則松公園は↓下の写真のような住宅街のなかの公園です。 旧 則松小学校の校庭であった場所を、そのまま公園に転用しました。 公園内を散策してみると、公園の北東入口ふきんに、小学校跡であるという痕跡をみつけることができました。 場所:福岡県北九州市
力丸東公園(北九州市八幡西区)のいっかくに「湯庵堂」があります。正確には湯庵堂の石碑があります。湯庵堂は武士が傷をいやすために使ったといわれる温泉が湧き出ていた場所です。 力丸東公園の東側に石仏がならべられ祀られている 場所:福岡県北九州市八幡西区力丸町 座標値:33.877537,130.726920 現在、温泉は枯渇し、お堂もみられず、石碑のみがみられます。 そして地域にまつられていた4基の石仏が、力丸東公園に集められ、お堂にまつられています。 4基の石仏とは別に、お堂の間に、古いものと推察される地蔵菩薩像と不動明王像がまつられていました。これらの石仏は首の箇所と胸の箇所でおられているために、廃仏毀釈がおこなわれた明治時代以前につくられたものと推察されます。 湯庵堂の温泉がでなくなった由縁が北九州市史(民俗)P.546に記されています。 八幡西区本城(ほんじょう)湯庵堂の田んぼの中に松
北九州市八幡西区を流れる堀川と金山川が合流する地点ふきんに、明治時代、木製の「本陣(ほんじん)橋」が架けられていたといいます。その後、大正13年に木製「本陣橋」の北東130m地点に鉄筋の「本陣橋」があたらしく架けなおされました。 その鉄筋「本陣橋」の橋柱が、現在つかわれている一番新しい「本陣橋」のすぐそばに残されています。↓こちらの写真が大正時代につくられた「本陣橋」の橋柱です。 大正時代製「本陣橋」の橋柱 大正13年竣工の銘がある 場所:福岡県北九州市八幡西区陣原4丁目 座標値:33.869344,130.732788 ↓下の写真は明治時代の木製「本陣橋」が架けられていた場所です。写真左側には2つの川が、ちょうど合流しています。手前が金山川(きんざんがわ)、向こう側が新新堀川です。 明治初期まで船による渡場 明治初期から大正13年まで木橋があった パノラマで写したものです↓写真右奥に新し
北九州市、八幡西区の黒崎にある”巨大煙突”の解体がはじまっていました。写真は2022年4月30日時点の状況です。完全になくなってしまう前に、写真に記録しておきたいなと思っていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区熊手 座標値:33.868729,130.755665 赤白3本煙突、さよならノッポ 「黒崎のシンボル」1本の撤去本格化|【西日本新聞me】 北九州市の代表的な工場夜景で、八幡西区黒崎地区のシンボル的存在でもある「赤白煙突」3本のうち、1本の撤去作業が本格化している。 三菱ケミカル福岡事業所内にある自家発電所の煙突で、1972年に設置。高さは3本のうち一番高い190メートルあり、夜には赤色灯を点滅して存在感を示していた。発電停止に伴い撤去が決まっていた。 事業所によると、頭頂部から少しずつ輪切りにする作業を11月下旬に開始。切り取った煙突をタワークレーンで下ろし、周囲に設けた足場を
北九州市八幡西区、町上津役(まちこうじゃく)西に鎮座する蛭子神社の境内に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区町上津役西 座標値:33.823704,130.751575 「幸神尊天」と刻まれています。庚申塔にむかって右側面には「享保九年」が確認できますが、左側面の文字は判読できませんでした。 享保九年は西暦1724年、干支は甲辰(きのえたつ)です。 蛭子神社 蛭子神社の始原は、御牧郡上上津役村・町上津役誕生のおり、村落共同の産土神を往還沿いの古野の一角に創建したことによると思われる。以来、里人の崇敬あつく、こんにちに至っている。祭神は事代主命である。明治期ここ早田に遷座された。(境内の案内板)
場所:福岡県北九州市八幡西区畑 座標値:33.804746,130.769969 畑貯水池をぐるりとまわる道路をはしっていると、脇に庚申塔がまつられていました。 石祠とともに、縦長の自然石の庚申塔はまつられています。 庚申塔正面には「庚申□堂」と刻まれています。「□」の箇所は読みにくく、何と刻まれているのかわかりません。おそらく「祭」と刻まれているように思えます。もしそうだとすると「庚申祭堂」と刻まれていることになります。 庚申塔にむかって右側面には、「寶永戊子」という文字が確認できます。宝永年間で、干支が戊子(つちのえね)の年は宝永五年で、西暦では1708年です。 庚申塔にむかって左側面にも建立月がきざまれているようですが、読み取ることができません。かろうじて「月」だけが読めます。
北九州福岡県北九州市八幡西区の黒崎に、1891年(明治24年)、九州鉄道のひとつの駅として黒崎駅が開業しました参照。開業当時、黒崎駅周辺はまだ田んぼが広がるのどかな場所でした。そのため黒崎駅利用者は少なく、駅周辺もさびしかったそうです(参照:『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P.77)。 場所:福岡県北九州市八幡西区黒崎 座標値:33.866692,130.766358 Google map そんな黒崎駅は、2021年現在、下の写真のような車通りの多い国道のすぐそばにつくられた大きな駅となっています。写真を確認していただくと、国道のすぐ上にデッキがつくられています。このデッキが「ペデストリアンデッキ」と呼ばれるもので、高架(こうか)の上に駅と駅前広場がつくられた建造物を意味します。 黒崎駅のペデストリアンデッキ ちなみに、こちら↓が開業して間もない黒崎駅周囲の地形図です。2つ地形図がな
福岡県北九州市八幡西区の堀川町という場所に、折尾(おりお)駅があります。この駅は複雑な歴史をもった駅で、とても興味深かったので、その歴史を記事にしてみたいと思い焦点をあてました。 どのように複雑なのかというと、 ①2つの鉄道会社の駅が立体交差していた ②同じ「折尾駅」のホームが2か所に分散している という特徴をもっている点です。そうなった経緯を調べてみました。 もともと折尾駅は、九州ではじめて鉄道路線を開通させた「九州鉄道」会社が開業した駅でした。九州鉄道会社は「遠賀川駅-門司駅」間の路線を”第一工区”、「博多駅-遠賀川駅」間の路線を”第二工区”として開業しました。 今回の記事で焦点をあてる「折尾駅」があるのは第一工区です。その第一工区の一部である「遠賀川駅-折尾駅-黒崎駅」区間は、1891年(明治24年)2月28日に開業しました。 折尾駅が九州鉄道のなかで、どのような位置にあったのかを整
こちらの写真は、江戸時代に整備された長崎街道沿いにある宿屋の内部を撮影したものです。長崎街道は、豊前国小倉(北九州市小倉北区)から、肥前国長崎(長崎県長崎市)へとのびる街道です。 宿屋のなまえは「立場茶屋 銀杏屋(たてばぢゃや いちょうや)」です。2018年1月に撮影しました。 場所:福岡県北九州市八幡西区石坂 座標値:33.806538,130.749747 この宿屋さんは「上段の間」というめずらしい構造をもっています。上の「上段の間」写真をみていただくとわかるように、大名がとまる部屋は、その他の家臣がとまる部屋とくらべると、一段高く床が設置されています。 「銀杏屋」を見学をしたとき、係りのかたに案内をしていただきました。もう2年前のことでわたしの記憶があいまいなのですが、たしか、「上段の間」の天井裏部分は工夫がこらされている…ということでした。 その工夫とは、天井から「上段の間」の会話
先日あげた記事「金山川 名前の由来地をしらべる 福岡県北九州市八幡西区上上津役」で、金山川(きんざんがわ)源流と金鉱跡について記述しました。この場所へいってみました。 場所:福岡県北九州市八幡西区-上上津役(かみこうじゃく) 座標値:33.8237824,130.7731905 現在、人が訪れることはあまりないようで、道は雑草に覆われ、かなり荒れていました。行くにはスニーカーではなく、登山靴でいくのが無難だと感じました。 ---------------------------- 金山川源流と金鉱跡、そして帆柱新四国霊場第60番札所がある場所は、ほぼいっしょの場所です。座標値は上記です。全行程を国土地理院地図上で示してみます。比較のために無加工の地図もしめしています。 「源流、金鉱跡、札所」地点へいく道の入口はこちらの地点です↓ この入口までは車で行くことができます。 座標値:33.8216
福岡県北九州市八幡西区の野面(のぶ)という地区に八所神社があります。『北九州市の史跡探訪』P.208では、八所神社は農業の神をまつり855年に創立された、とあります。 この八所神社境内のおくに石塔群がならべられており、このなかに庚申塔が祀られていたのでご紹介します。 場所:福岡県北九州市八幡西区野面 座標値:33.781638,130.741879 八所神社の石塔群 ↓下の写真は右側から順番に石塔や石祠をうつしていったものです。 全部で9基の石塔、石祠、狛犬などが石でつくられた祭壇のような場所に、横一列にならべられていました。このなかで、はっきりと庚申塔とわかる石塔が2基ありました。 ↓こちらは右から4番目の庚申塔で、正面に「謹請 幸神尊天」と刻まれ、その両側に「元禄十二年 二月吉日」と建立年もあります。元禄十二年は西暦1699年。 右から4番目の石塔が庚申塔 この庚申塔のしたには、福岡県
福岡県北九州市八幡西区の南部へ水を供給している巨大な貯水池があります。畑貯水池と呼ばれる、北九州市と新日本製鐵(株)が共有する貯水池です。この貯水池周囲には庚申塔がまつられていたり、鯉料理屋さんがあったり、畑観音と呼ばれる史跡がのこっていたりと、北九州市街地とはちょっとちがった、古い文化のにおいが残る場所です。 畑貯水池の南側に、福岡県道61号線が中間市から北九州市小倉南区へとはしっています。この県道61号線を東方面(小倉南方面)へはしっていると、畑貯水池にさしかかる少し手前の場所で、気になる石塔が祀られています。 塩土老翁の石塔 場所:福岡県北九州市八幡西区下畑町 座標値:33.801945,130.756724 いっけんすると庚申塔かな?と思いましたが、石塔のすぐとなりに親切にも案内板が立てられていました。その案内板には「塩土老翁祝祭」とかかれています。塩土老翁(”しおつちのおじ”、ま
北九州市八幡西区の則松(のりまつ)という地区の話を、地元のかたにうかがう機会がありました。則松には現在の則松小学校とは別に、旧則松小学校があり、その旧則松小学校の「上のほうに」高見神社があるといいます。 高見神社では、毎年10月9日に「おくんち」と呼ばれるお祭りがあり、「おくんち」では相撲大会が開催されていたそうです。相撲大会に出場するとノートがもらえたので、子ども心に、とてもうれしかったということです。 現在も、高見神社が残っているのか調べてみると、Google map上で所在を確認することができました。 則松の高見神社:福岡県北九州市八幡西区則松七丁目 座標値:33.850196,130.719945 則松の高見神社:Google map この高見神社に、相撲大会に使われていた土俵は残っているのでしょうか?また、旧則松小学校は現在どのようになっているのでしょうか? まずは高見神社へ行っ
鞍手軽便鉄道(くらてけいべんてつどう)の鉄橋台座を2カ所、見ることができました。そのうち1カ所は前回の記事でご紹介しました。 鞍手軽便鉄道の鉄橋台座-日々の”楽しい”をみつけるブログ- 場所:福岡県北九州市八幡西区香月西 座標値:33.800017,130.721075 もう1カ所は、上記の場所から南へ60mほど行った場所にあります。 場所:福岡県北九州市八幡西区香月西 座標値:33.799520,130.721079 こちらの台座は、前回の台座と比較して2倍ほど幅が広い印象を受けます。黒川という、比較的大きな川に架かる橋であったため、そのぶん鉄橋も大きくなり、台座も大きいのだと考えられます。 鞍手軽便鉄道は、1915年(大正4年)に開業。八幡西区の香月周辺や、野面(のぶ)周辺で産出されていた石炭を運びだすための鉄道であったようです参照。 今昔マップで、軽便鉄道の場所を確認すると、1922
西鉄北九州線は2000年(平成12年)までにぜんぶ廃止されました。その線路跡がいまどうなっているのか、たどってみました。 上図の点線は西鉄北九州線の一部、北九州本線です。北九州本線は、北九州市八幡西区の「折尾駅-黒崎駅」間をはしっていました。 西鉄北九州線(北九州本線)の折尾停留所跡です。停留所は高架橋駅となっていて、駅の橋げたはレンガ製三連アーチです。折尾駅の南東約100m地点にあります。 場所:福岡県北九州市八幡西区南鷹見町 座標値:33.863042,130.713456 三連アーチのうち一番東側のアーチは生活道路とななめに交差します。そのためアーチをななめにつくる「ねじりまんぽ」と呼ばれる特殊な造りをしています。 「ねじりまんぽ」は全国で29か所しか確認されておらず、この折尾のものは、そのなかでも最大といわれます参照。 三連アーチのうち一番西側とまんなかのアーチは資材置き場です。そ
長崎街道は「豊前小倉の常磐橋(北九州市小倉北区室町2丁目)」から「肥前長崎(長崎県長崎市桜馬場1丁目)」までの、約223.8㎞の道程です。 長崎街道のひとつの宿場町である「黒崎宿(くろさきしゅく)」。その黒崎宿の南西1㎞範囲内にたくさんの松の木がうえられている区間があります。ここが曲里(まがり)の松並木です。南北に約600mの範囲に松がうえられ、その松の間に遊歩道がもうけられています。 曲里の松並木の景色が江戸時代当時のものかというと、そうではないらしく、2本を残してそれ以外の松は昭和に植えられたものということです(参照:『長崎街道 (九州文化図録撰書)』P.39)。残された2本は江戸時代からのこっている松で、大木となっています。その2本のうち1本がこちらの松です↓ 2021年現在でも立派にいきつづけています。 場所:福岡県北九州市八幡西区岸の浦 座標値:33.858590,130.763
北九州市の「日峯神社(ひのみねじんじゃ)」境内に庚申塔がまつられていました。神社の拝殿へとつづく参道の右側脇に3基の祠とともに石塔がまつられています。 場所:福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 座標値:33.879344,130.698715 石塔の正面には「庚申塔」と刻まれています。「庚申塔」の文字の上には「〇」の記号が刻まれています。 庚申塔にむかって右側面をみてみますと↓「享保十三天」という銘があります。享保13年は、西暦1728年で干支(かんし)は戊申(つちのえさる)です。 ↓庚申塔に向かって左側面には、その年の干支をあらわしているのか「申」という文字が刻まれ、その下に「三月」とあります。 ↓庚申塔の裏側には、おそらく願主の名前がきざまれていたのでしょうが、文字はかすれて消え、「氏」という文字だけがかろうじてみえます。 日峯神社を訪れたのは2021年3月27日(土曜)で、神社境内の桜
福岡県北九州市八幡西区の山寺町という地区に、神武天皇の神話にまつわる場所があります。神武天皇が筑前の地におられたときに天皇みずから神様を招いたとされる場所で、「古代祭場」として今も保管されています。 「古代祭場」は一宮神社の境内一画にあります。 神様を招きいれるための磐境(いわさか) 場所:福岡県北九州市八幡西区山寺町 座標値:33.860685,130.756758 案内板の「古代祭場」についての説明によると、神武天皇が東征の旅にでた際に、この地に一時的に滞在され、神様を招いたということです。神様を招くことを御親祭(ごしんさい)というそうで、神武天皇はこのときに国の安泰を祈ったとされています参照。 -------------- 神武天皇が「世界の中心(中州;ちゅうしょう)」をめざし、建国する旅にでるという神話があります。これを”東征”とよんでいるようで、東征のルートが以下のようになります
福岡県北九州市 八幡西区の西側をながれる金山川(きんざんがわ)。源流部は、おなじく八幡西区の上上津役(かみこうじゃく)という地区にあります。 参照:金山川(きんざんがわ)源流を探訪する 金山川源流部 場所:福岡県北九州市八幡西区-上上津役(かみこうじゃく) 座標値:33.8237824,130.7731905 金山川の地図をながめていると、川のそばに不自然な地形の水路をみることができます。下の地形図をご参照ください。2枚目、色を白黒にした地形図に「昔の流れ」と示した箇所です。本流の西側に数字の「3」のような形の副流があります。 今昔マップで大正11年(1922年)ごろの、同じ場所の地形図をみてみます。2022年現在とは異なり、金山川は大きく蛇行しています。そして川の両岸には田園がひろがっています。ずいぶん今の景色とはちがっていたことが想像されます。 金山川は、大きく蛇行する本流部を修正され
北九州市八幡西区に、むかし金剛寺というお寺があったそうです。Google mapで確認すると、座標値(33.790604,130.747745)地点にそれらしいお寺があるようです。 この金剛寺に強盗がはいったとき殺された子ども達を供養する地蔵尊が祀られているという情報を得ました。その地蔵尊は「稚児ヶ原地蔵」と呼ばれ『北九州市史(民俗)』P.579に紹介されていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区金剛 座標値:33.7865130,130.7528451 車一台がやっと通れるほどの農道を270mほどすすんだ、樹々でこんもりとなった場所に、↑上の写真のような小屋がたてられていました。 小屋のなかに複数の石造り地蔵菩薩像がまつられていました。また小屋にむかって左側にも不動明王像とともに2基の地蔵菩薩像がまつられていました。 これら地蔵菩薩に願をかけると万病が治ると伝えられます 。 『北九州市史
北九州市八幡西区黒崎の岡田神社境内に庚申塔がまつられているという情報を得ていってみることにしました(参照:北九州市まちかど探検-八幡西区黒崎・熊西地区)。岡田神社は黒崎の街のなかに鎮座しています。岡田神社は車通りと人通りのとても多い「山手通り」に面しており、駐車できる場所がみあたらなかったために、これまでいっていなかった神社でした。黒崎の街のなかは道路がせまく、車を運転するのにも気をつかいます。 岡田神社から西へ300mほど行った場所に図書館があるため、ここに車をとめさせていただき、徒歩で子どもと一緒に神社へと移動しました。 九州南部を本拠地とする熊襲(くまそ)と呼ばれる人々が、菊竹ノ浜という場所に祖先をまつったことが、岡田神社のはじまりとされています。「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)P.181では、もともと、八所神社とよばれていましたが、1705年に岡田神社に改称されたと紹介され
「黒崎宿(くろさきしゅく)」の西構口(にしかまえぐち)から南西へ約240mいった地点から長崎街道のなごりである「曲里の松並木」が南方向へとのびています。前回の記事では、この長崎街道の”なごり”となる松並木をあるきました。 今回の記事では、曲里の松並木がおわる地点である”北九州市八幡西区幸神1丁目”ふきんから、長崎街道を南下していこうとおもいます。 この区間は、長崎街道という情報がなければ、なんの変哲もない住宅街の道です。主な車はこの道のとなりにある国道200号線をゴンゴンと音をたててとおっています。長崎街道には、ときおり思い出したように車が通るだけです。歩いている人も、ときどきいるなあという程度です。”閑静”という言葉が似あう道です。 どこかに街道のなごりがないかと探しながら歩いていると、済世第二幼稚園の前にて、そのなごりをみつけることができました。 「一里塚跡」と刻まれた、比較的新しい四
綺麗な形の橋ですよね。 これは日本で唯一現存する レンティキュラートラス橋の南河内橋です。 (日本の近代化と関係がある南河内橋) 福岡県北九州市八幡・・・。この街には日本の近代化の重要なけん引役となった 八幡製鉄所があります。 南河内橋は、この八幡製鉄所の鉄造りに重要な役割を果たした河内貯水池に架かる橋です。 南河内橋には、河内貯水池にかかる橋で、その構造は日本で唯一現存するレンティキュラートラス橋です。 この橋は、メガネ型の綺麗なデザインの橋です。 その見事な形には、ウルトラ警備隊のモロボシダンがウルトラセブンに変身するときに使うウルトラアイを思い出してしまいます。 (およそ100年前に完成) この橋は、1926年(大正15年)に竣工、1927年(昭和2年)に完成しました。 レンズ形に鋼材を組み合わせたもので、橋長132.97m、径間66m、幅員4.1mのレンティキュラートラス橋です。
西鉄北九州線は2000年(平成12年)までにぜんぶ廃止されました。その線路跡がいまどうなっているのか、たどってみました。昨日に投稿した記事(西鉄北九州線跡をたどる その①『折尾停留所跡』)のつづきです。 約20年経過した「西鉄北九州線-北九州本線-跡」は、工事車両専用道路としてのこされていて、現在も住宅街のそばをはしっています。 場所:福岡県北九州市八幡西区北鷹見町 座標値:33.862636,130.715198 場所:福岡県北九州市八幡西区長崎町 座標値:33.863275,130.722732 Google mapの衛星写真をみると軌道跡がよく確認できます。 (33.863562,130.723570)地点の高架から「西鉄北九州線-北九州本線-跡」を見下ろしたものです↓ JR鹿児島本線と並走していることがわかります。 上の写真を撮った位置から反対方向の東側をみると、金山川をながめるこ
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く