ディスクジョッキー(DJ)の草分け、小林克也さん(83)は、ラジオの本場アメリカの手法を取り入れながら独自にアレンジしたスタイルで先頭を走り半世紀を超えた。だが、小林さんは日本のラジオ放送が始まって100年を迎える現在の状況を「危機」と捉え、「冗談じゃない100年だね」と語る。【井上知大】 「やっぱり勉強しなきゃダメだな」 <バイリンガルDJとして知られる小林さんだが、その原体験は幼少期から一番のおもちゃだったというラジオから聞こえる英語と音楽だった> うちのラジオは高い棚の上に鎮座してあって、食事時にはよく鳴っていました。母は中学の教師で、僕が小学校から帰宅すると誰もいないから、ラジオを触って遊んでいました。背が届かないので椅子を台にして。ダイヤルは、だいたいNHK(の周波数)に合わせてあったけど、それをちょっとひねると、韓国語とか中国語とか、ロシア語とか、もちろん英語も、いろんな言葉が