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豊臣秀次の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 呉座勇一「陰謀の日本中世史」・豊臣秀次の切腹・面を洗って出直してください - 散文的で抒情的な、わたくしの意見

    呉座さんが立てている大テーマは「石田三成は徳川家康にはめられたのか」なのですが、ここではその序章部分にある「豊臣秀次事件」のみを扱います。 私は学者でもないくせに金子拓氏とか藤田達夫氏に「噛み付いて」いますが、それはただ「本を読んでも論旨がたどれない。論理破綻、論理の飛躍が目立ちすぎる」からです。初めに結論ありきで、その結論に一次資料をあてはめていく。一般読者が読めない一次資料でウソくさいことを補強する。その姿勢が読者として不快というだけです。私は学者ではない。つまり感想です。 本郷和人さんが「『信長は革命児にあらず』論の資料の読み方は、はっきり言って、あまりにも幼稚だと思う。先学が『ウラを読ん』で達成してきた成果を台無しにしてしまう暴論のような気がする」と書いていますが、私は「幼稚」というか「変だな、そういう風に結びつかないだろ」と思うのです。一読者としての感想です。 呉座さんの場合「応

      呉座勇一「陰謀の日本中世史」・豊臣秀次の切腹・面を洗って出直してください - 散文的で抒情的な、わたくしの意見
    • 京都三条に豊臣秀次の墓「瑞泉寺」 - モノ評価ブログ

      豊臣秀吉の姉の子、秀次の養が京都三条「瑞泉寺」にあります。 瑞泉寺の場所は、三条駅から徒歩5分、三条木屋町通り南。 拝観時間は午前7時~午後5時、無料。 キレイに手入れされた境内を奥へ進みます。 立派な石塔が秀次の墓か、朝日新聞の記事を参照。 (古都ぶら)豊臣秀次一族の悲劇 処刑跡地を伝え続ける 京都市中心部を流れる高瀬川沿いに発展した木屋町通。飲食店が並び、活気にあふれる京都随一の繁華街だ。その一角にひっそりとたたずむ寺が、ずっと気になっていた。よく行く牛丼店のそばにある瑞泉寺。門前の石碑には「豊臣秀次公之墓」と刻まれている。なぜ、ここに――。思い切って、山門をくぐった。 境内に入ると、静寂の空間が広がっていた。石畳の先に、本堂がそびえる。出迎えてくれた住職の中川龍学(りゅうがく)さん(54)によると、この地はかつて、鴨川やその支流に囲まれた中州だったという。「本堂から三条大橋あたりに処

        京都三条に豊臣秀次の墓「瑞泉寺」 - モノ評価ブログ
      • 検証・豊臣秀次〜その死の理由は?秀吉との関係は?その力量は?

        NHKニュース【新たな書状発見 豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」】2019年8月19日 豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」と指摘しています…(後略) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040091000.html この書状の解釈を含め、大河ドラマ「真田丸」でも描かれた「秀吉は切腹をさせるつもりはなかったのに、秀次が早合点か抗議の意味を込めて自分から切腹した」という説の議論、そもそもどういう人物であったのか…など

          検証・豊臣秀次〜その死の理由は?秀吉との関係は?その力量は?
        • 豊臣秀次の死巡り新史料 「息子を国主に」と秀吉 - 日本経済新聞

          豊臣秀吉から関白職を継承しながら、秀吉の不興を買い失脚、切腹したとされる養子の秀次について、死の約3カ月前の時点では、秀吉が秀次の息子を要衝である大和(奈良)の「国主」に取り立てる意向だったことを示す新史料が、30日までに見つかった。秀吉は側室淀君との間に実子秀頼が誕生したことで、関白秀次と不仲になったとする通説に一石を投じる内容といえる。書状を精査した東京大史料編纂所の村井祐樹准教授は「秀次

            豊臣秀次の死巡り新史料 「息子を国主に」と秀吉 - 日本経済新聞
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