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2006年8月10日のブックマーク (7件)

  • 「靖国問題」と「靖国参拝問題」 - 数学屋のメガネ

    以前に高橋哲哉さんの『靖国問題』(ちくま新書)を参考にして「靖国問題」を考えてみた。高橋さんは哲学者なので、哲学者としての視点から「靖国問題」を捉えると、どのような論理展開になるかということがこのを学びたいと思った大きな理由だった。 哲学者というのは非常に厳密な論理を構築する。普通の人ならあまり注意を払わないような細かいところまで、その論理の一貫性を保つようにこだわる人たちだ。だから、「靖国問題」というデリケートな問題に対して、とことん徹底的に論理的な考察をするとどうなるかと言うことをこのから学ぼうと思った。 しかし、そのように徹底した論理展開をすると、一般的な結論としては予想出来るものがある。それは、簡単に結論は出せないと言うものだ。哲学は対象を徹底的に掘り下げるが、どんな対象であろうとも徹底的に掘り下げれば、判断が難しい面が必ずある。だから、結論としては「分からない」「客観的判断は

    「靖国問題」と「靖国参拝問題」 - 数学屋のメガネ
  • ジェンダーフリー=男女同室着替えさせまくり説についてのまとめ。 - 荻上式BLOG

    「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の件について書いてみようと思う。長文になるので、結論だけ知りたい人は「男女同室着替えはジェンダーフリーのしわざだいっ! …って言うと漏れなく憐憫のまなざしがついてくるからやめようね」という内容だということだけ分かればいいと思う。では、記事開始。 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」というイメージを作るのに最も大きく貢献したメディアのひとつは、なんといっても『週刊新潮』(03年01月30日号)だと思う。その内容は次のようなものだった。 高校生にも男女同室で着替えをさせる ジェンダーフリー教育の元凶 福岡県の県立大牟田北高校を訪れた人は、ギョッとするような光景を目にすることになる。この高校では体育の授業や部活動の前に、男女が同じ教室で着替えをしているのだ。「勿論、女性とは素っ裸で着替えているわけではなく、あらかじめスパッツを穿いたり、Tシャツを着たままで着替

    ジェンダーフリー=男女同室着替えさせまくり説についてのまとめ。 - 荻上式BLOG
  • 分裂勘違い君劇場 - 自由市場経済が破綻するとき

    NHK特集:21世紀の潮流 ラテンアメリカの挑戦より 「アメリカの裏庭」と言われた中南米、ラテンアメリカでいま続々と左派政権が誕生し、アメリカが主導する南北アメリカ政治・経済の統合にノーを突きつけ始めた。 自由市場経済ーーー自由競争社会の導入の結果、ラテンアメリカにもたらされたもの。 それは、競争の勝者が富を独占し、膨大な数の人々が貧困の中であえぐ、最悪の格差社会だった。 たしかに、民営化、規制緩和、市場の開放による自由競争は、効率を上げ、トータルではより多くの富を生み出した。 しかし、生み出された富が、貧しい者たちの手に渡ることはなかったのだ。 自由競争社会を推進する人々は言う。 曰く、「自由市場経済が富を生み出し、多くの貧困を解決してきたというのが、ここ数世紀の流れだった。」 曰く、「今日では、貧乏人ですらかつての貴族のような暮らしをしている。」 曰く、「かつては金持ちではなければ手

    分裂勘違い君劇場 - 自由市場経済が破綻するとき
  • 戦争プロパガンダ10の法則

    アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』/70点 ぼくのつれあいがサンフランシスコにいたときに、同時多発テロがおきた。 同僚のアメリカ人たちは、みんないいやつだったけど、このテロがおきたとき、人がかわったように「アフガンをやっつけろ」とさけんだ。ちょっとでも、ブッシュを揶揄しようものなら、怒られた。町中が主戦派の色での「愛国」にかわってしまった。 このときのアメリカ戦争宣伝は、まさしくこの歴史学者の指摘する10の法則にぴったりあてはまっていた。戦争を推進する側は、つぎの10の法則どおりに、事態をえがこうとする。 (1)「われわれは戦争をしたくはない」 (2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」 (3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」 (4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」 (5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでい

  • 何故自信満々なのか? - 非行型愚夫の雑記

    的な事実を無視して語られる南京事件 - Apes! Not Monkeys! はてな別館 とにかく不思議で不思議でならないのは、これほどまでに基的な事実についての知識を欠きながら、なにゆえあそこまで自信満々足りうるのか Apeman氏の疑問に対し、既出っぽい仮説を立ててみました。 大雑把な分類 否定論を主張する自信満々な人々の多くは印象操作型か自己充足型のいずれかに分類できると思われます。(ただし天然型などその他の型も少数はいると思われます) 印象操作型(ダマシ) 観客としての第三者を意識し、その第三者に自分の方が優勢という印象を与えるために意図的に自信満々な態度を取っている可能性。 議論の内容に対する知識を持たず、従って両者の発言の真贋の判定が出来ない第三者を念頭に置いており、その第三者に自分の方が優勢に見えるように演技しているというわけです。 目的は議論における「敗北」で否定論の

    何故自信満々なのか? - 非行型愚夫の雑記
  • 貧困を煽り、人命を軽視する米国型「市場原理主義」の傲慢 - toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

    seiryu95
    seiryu95 2006/08/10
  • はてなブログ

    小説をよく読む人やたまに読む人に聞いてみたいこと 気になっている 小説家の友人と通話をしたのだが、そのとき、「文体、とくに人称について悩んでいる」という話になった。 日語で一人称で物語を書くときは、「僕」とか「私」とか「おれ」とかを使わないといけないのだが、どうしてもその選択によって、その人がどういうセルフイメー…

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