しかし、さいたま市を構成するエリア同士が融合したとは言いがたい。浦和はかつての県都。さいたま市役所の庁舎も元の浦和市役所庁舎だった。一方で、大宮は交通の要衝を武器にさいたま市の経済発展をリードしているという自負がある。大宮の浦和への対抗心には並々ならぬものがある。 さいたま市になった旧大宮市域は、おおむね大宮区・西区・北区・見沼区の4区に分割された。大宮区は大宮駅を擁する、文字どおり大宮の中心地である。 鉄道の街・大宮の歴史の始まり 大宮を繁栄に導いた大宮駅は、1885年に日本鉄道の駅として開業した。日本鉄道は東京から高崎を結ぶ路線を建設。これは現在の高崎線にあたる。建設する順番は逆になったが、日本鉄道にとって高崎線は支線的な扱い。本線は東京と東北を結ぶ、現在の東北本線だった。 高崎線の熊谷駅までを開業させた後、日本鉄道は東北本線を建設する準備を始めた。その際、どこから東北本線と高崎線とを