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2019年12月11日のブックマーク (2件)

  • KISSの武道館公演をNHKテレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で見て感激した忌野清志郎の決断

    高校生でバンドを作った1968年から活動をともにしてきたオリジナル・メンバーの破廉ケンチが、うつ病でギターが弾けなくなってメンバーから外れたのは、結成から10年目を迎えた1977年の夏だった。 そのためにRCサクセションはアコースティックのトリオからロック・バンドに変貌することを目指して、2年近い紆余曲折の期間を経たにもかかわらず、結成以来のメンバーが忌野清志郎と小林和生だけになってしまった。 ところがが1978年1月18日、カルメン・マキ&OZのギタリストだった春日博文が「屋根裏」のライブに前触れもなく、アンコールで乱入してきたことをきっかけに一気にメンツが揃っていく。 春日のステージングに目を見張った忌野清志郎は、終演後にバンドへの参加を要請している。そして「ドラマーを変更すること」を条件に春日はギタリストとしてに参加し、忌野清志郎にはギターを弾かないでヴォーカルに専念することを提案し

    KISSの武道館公演をNHKテレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で見て感激した忌野清志郎の決断
  • バンドを去ったミック・テイラーに届いたキースからの電報〜キース・リチャーズ語録①

    なぜか心に染みるキース・リチャーズの言葉 キース・リチャーズの自伝『ライフ』は、ツアー中のドライブ途中で起こる警察とのいざこざや裁判沙汰で幕開く。ミュージシャンのバイオグラフィーの始まりとしては画期的すぎて、まるで一映画のワンシーンを観ているような気にさせられた。 ロックスターのイメージを創り上げた男の人生だ。画になることは間違いない。しかも「世界最高」「世界最強」と謳われるロックンロール・バンドの音楽的支柱。ローリング・ストーンズのギタリストとして、数々の苦難を乗り越えてきたキース流の生き方は“リビング・レジェンド”そのもの。 実際、映画化のオファーもすぐに来たそうだが、キース曰く「そもそも“俺”をどうやって見つけるんだ? キース・リチャーズの後継者降臨なんてのは全くのシャレにならないぞ。たぶん俺が死んでからだな。映画が作られるのは」 キースの言葉は、そのトラブル続きの生活や経緯を

    バンドを去ったミック・テイラーに届いたキースからの電報〜キース・リチャーズ語録①