要するに中島ギドーは、母が父に愛されず苦しんだから、そのトラウマから、自分の妻を同じ目に遭わせるという世代間反復強迫を行っているわけで、フロイト派の人からしたら格好の分析素材を提供しているわけだ。 だがなぜかギドーの世界では、常に女が男の愛に飢えている。姉までそうだ。これが実に不思議で、一般には男が女の愛に飢えるものだ。ギドーは女の愛に飢えないのか。恐らくギドーはかなり同性愛に近い人である。『ウィーン家族』全編に漲っているのはすさまじいミソジニーであって、これは上野千鶴子は連載で「中島義道のミソジニー」を書かなければなるまい。ギドーがトラブルを起こす編集者は女ではあるまいか。仕事をしてもらいたがる女性編集者が、ギドーには愛を乞う女に見えていて、それでいたぶってしまうのだ。だがギドーは同時に狡猾であるから、自分に何も求めない女のことは見抜いて、そういうのは相手にしないのだ。 姉、そして妻が洗