ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (2)

  • 世代間反復強迫 - jun-jun1965の日記

    要するに中島ギドーは、母が父に愛されず苦しんだから、そのトラウマから、自分のを同じ目に遭わせるという世代間反復強迫を行っているわけで、フロイト派の人からしたら格好の分析素材を提供しているわけだ。 だがなぜかギドーの世界では、常に女が男の愛に飢えている。姉までそうだ。これが実に不思議で、一般には男が女の愛に飢えるものだ。ギドーは女の愛に飢えないのか。恐らくギドーはかなり同性愛に近い人である。『ウィーン家族』全編に漲っているのはすさまじいミソジニーであって、これは上野千鶴子は連載で「中島義道のミソジニー」を書かなければなるまい。ギドーがトラブルを起こす編集者は女ではあるまいか。仕事をしてもらいたがる女性編集者が、ギドーには愛を乞う女に見えていて、それでいたぶってしまうのだ。だがギドーは同時に狡猾であるから、自分に何も求めない女のことは見抜いて、そういうのは相手にしないのだ。 姉、そしてが洗

    世代間反復強迫 - jun-jun1965の日記
  • 湾岸戦争の時の - jun-jun1965の日記

    「文学者の反戦声明」というのがあったが、あれの署名者リストがネット上にないようなので、ここに資料として掲げておくことにする。 声明は二つに分かれていて、 声明1 私は日国家が戦争に加担することに反対します。 声明2 戦後日の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を『最終戦争』として闘った日人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き 込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的で あれ間接的であれ、日戦争に加担することを望まない。われわれは、「戦争の放棄」の上で日があらゆる国際的貢献を

    湾岸戦争の時の - jun-jun1965の日記
    semi
    semi 2009/07/05
    文学者の反戦声明
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