4年前の東日本大震災・津波で、人口約2万3000人の10パーセント近くを失った岩手県陸前高田市。街の記憶・歴史をつなぐ文化財レスキューの取り組みとその意義を、市の学芸員唯一の生存者が語る。 2011年3月11日—鮮明な記憶 あの日、私は、「陸前高田市海と貝のミュージアム」で貝類標本管理のためのデータベースにデータ入力をしていた。午後2時46分、今まで経験したことのない大きな揺れを感じた。その揺れは6分以上も継続し、揺れが収まった後、館内の様子を見回り、その被害の大きさを目の当たりにした。 幸いにもその時間入館者はいなかったが、展示標本はケース内でバラバラに散乱し、海の生き物たちの入った大型の水槽は倒れ、床は水浸しになっていた。当日勤務していた職員に、市役所に避難するように指示を出した後、再度、館内の見回りをしてから施錠して市役所に向かった。 市役所では駐車場と、道路を挟んだ公園に職員、避難