『法学協会雑誌』 法学協会の沿革 1877(明治10)年に発足した東京大学には、法律問題についての討論を行なうことを目的とした「東京大学法律研究会」という組織が設立されていたが、そこで行われた討論の内容を雑誌に発表するために1883(明治16)年10月、これが民間団体に改組され、委員長穂積陳重以下役員16名が選出された。翌1884(明治17)年1月14日、臨時会を開いて会名を「法学協会」、雑誌名を『法学協会雑誌』とすることを決めた。雑誌第1号には会員として97名の氏名が記されている。 実際に、雑誌第1号の巻頭記事は「丙敷金五拾円ヲ出シテ甲ヨリ家ヲ借リ居タル處甲其家ヲ乙ニ売渡シタリ(甲ハ当時無産ニシテ乙者ハ敷金アルヲ知レリ)後乙ハ丙ニ立チ去リヲ命シタルニ付丙ハ前敷金ノ返却ヲ乙ニ請求セリ其当否如何」という論題に関する討論(明治16年11月13日および12月19日開催)の記録であり、乙側から土方