タグ

ブックマーク / www.j.u-tokyo.ac.jp (2)

  • 東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

    『法学協会雑誌』 法学協会の沿革 1877(明治10)年に発足した東京大学には、法律問題についての討論を行なうことを目的とした「東京大学法律研究会」という組織が設立されていたが、そこで行われた討論の内容を雑誌に発表するために1883(明治16)年10月、これが民間団体に改組され、委員長穂積陳重以下役員16名が選出された。翌1884(明治17)年1月14日、臨時会を開いて会名を「法学協会」、雑誌名を『法学協会雑誌』とすることを決めた。雑誌第1号には会員として97名の氏名が記されている。 実際に、雑誌第1号の巻頭記事は「丙敷金五拾円ヲ出シテ甲ヨリ家ヲ借リ居タル處甲其家ヲ乙ニ売渡シタリ(甲ハ当時無産ニシテ乙者ハ敷金アルヲ知レリ)後乙ハ丙ニ立チ去リヲ命シタルニ付丙ハ前敷金ノ返却ヲ乙ニ請求セリ其当否如何」という論題に関する討論(明治16年11月13日および12月19日開催)の記録であり、乙側から土方

    東京大学大学院法学政治学研究科・法学部
  • 東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

    『国家学会雑誌』 国家学会の沿革 国家学会は、1887(明治20)年2月9日に設立された。元来東京大学文学部に設置されていた政治、理財、哲学、和漢文学の諸学科に関する研究を目的として「文學會」という組織が設けられていたが、1885(明治18)年に「政治学及理財学科」が法学部に移管されたため、政治学の学生、学士等が、「憲法、行政、財政、外交、経済、政理、統計等国家学ニ属スル諸学科ヲ講究スル」(国家学会規則第2条)ことを目的として「文學會」から独立した組織を結成したものである。会員の範囲は当初「旧東京大学卒業ノ学士、帝国大学ノ教授、卒業生、学生生徒及国家学専門ノ名士ニシテ会ノ目的ヲ協賛スルモノ」(第3条)と定められ、事業内容は講義討論と雑誌の発行であった。講義討論のために、夏期を除く毎月一回の「通常会」が開催されることとされた。設立時の会員は94名であった。 1887(明治20)年3月5日の

    東京大学大学院法学政治学研究科・法学部
  • 1