洲崎 東京都江東区にあった赤線区域 明治中期に根津遊郭がこの地に移転 赤線区域売春を目的とした特殊飲食店街の別称。警察がこの地域を地図に赤線で囲って示したところからこの名称がある。第二次世界大戦後の1946年(昭和21)1月、GHQ(連合国最高司令部)の指令により、日本における管理売春の公娼(こうしょう)制度は廃止されたが、戦後社会の混乱と性風俗の悪化を恐れ、特定の地域を限って私娼による慰安所を設けて営業することが許された。これらの店のほとんどは、公娼を扱っていた業者が営み、形式的に飲食物を置いたが、内容はもっぱら売春であった。ストリート・ガール(街娼)は取締りの対象になったのに対し、これは風俗営業として認められた。公娼は身代金、前借金などの名目で拘束されたが、私娼はあくまで本人の自由意志によるものとし、慰安料金の配分も娼婦・業者折半か、または娼婦60%・業者40%程度を約束して行われ
![記録映画『赤線』・洲崎パラダイス 1958](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/112dc478a454b95bddcfb0a00795ead832148da9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fi.ytimg.com%2Fvi%2FI9iF39c-Hdk%2Fhqdefault.jpg)