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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (6)

  • 月のクレーターは望遠鏡があったからといって見えるわけではない(想像力がなければ見えない): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いまホルスト・ブレーデカンプの『芸術家ガリレオ・ガリレイ』を読んでいます。 この、「【見る】ということとはどういうことか?」について非常に考えさせられる内容です。値段は高いし、分厚い一冊ですが、ぜひ一読をオススメしたいです。 読んでいて考えさせられるのは、描くことと思考することの関係性や、想像することと見ることの関係性です。 ガリレイが実際に手で絵を描くことで考え、頭のなかでしっかりと想像する=仮説をもつことではじめて誰もそれまで見ることができなかったものを見ることができたのだということが、このを読んでいくとわかってきます。 そこには描かなければ可能にならなかった思考があったし、思考をもとに想像しなければ目にすることができなかった事実がありました。そういうことをこの

    seuzo
    seuzo 2013/10/06
    「想像さえしていなかったものは新しい道具が登場したからといってそう簡単には見えないし、そこに存在するはずもないものが目の前にあらわれたからといってそれがそこにあると人は認めることができないようです」
  • 「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、会社のほうで進めているプロジェクト「Think Social」では、デザインシンキングのアプローチを用いて行なうサービスデザインをテーマとして扱っていますが、その一方で、やはり個人的な関心としては、人間の知の在り方や価値観を左右する人工物全般としてのメディアに強い関心があります。 例えば、電子書籍的なものもその一部。 ただし、世間的には、講談社が今後の書籍の刊行を紙と電子版を同時に行なうという方針を発表したニュースが取りざたされたり、『WIRED』創刊時の編集長ケヴィン・ケリーがインタビューで「10年後には「」そのものは基的にすべて無料になる」というようなことを言ったりするなど、相変わらず電子書籍の話題には事欠かないのですが、僕自身はどうもこの電子書籍関連の話題に

  • 堕落論/坂口安吾: DESIGN IT! w/LOVE

    昭和21(1946)年4月、坂口安吾は『堕落論』を書きました。 半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。 昭和天皇が玉音放送をもってポツダム宣言受諾を表明し、日が降伏したのがその前年の8月15日です。 この戦争直後の社会で話題となりました。 先の引用したとおり、「半年のうちに世相は変った」ではじまる、この短いエッセイは、一夜にして価値観を変更させられた日人の心を打ったのでしょう。 僕は昨夜、この安吾の『堕落論』をふと思い出しました。 この短いエッセイの後半に書かれた、 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。 ということばを。 もちろん、僕がそれを思い出したのは、いまの僕らもまた「一夜にして価値観を変更させられた日人」に他ならない

    seuzo
    seuzo 2011/03/19
    「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの
  • 版(version)の危機: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 皆さんはとっくに気づいていたことかもしれませんが、僕は昨夜、電子書籍のことを考えていてようやく「そうか。何かあるひとつの状態をオリジナルの版として、その複写物を生み出すという形態をとる、あらゆる大量生産の基が瓦解するのがこれからか」ということに気づきました。 そう。「版(version)」という概念が危機を迎えているのです。出版は言うに及ばず、そのほか、オリジナルの型を複製する大量生産により富を生み出すという仕組み自体が危機を迎えているのが現在なのではないかと感じます。 世界はどんどんオリジナルとコピーという区別が意味をなさなくなる時代に進もうとしています。 マクルーハンは『メディア論―人間の拡張の諸相』で「活字による印刷は複雑な手工芸木版を最初に機械化したものであり、そ

  • あらゆる仕事はデザインの仕事です。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「残念なデザイン。」に、yusukeさんより、こんなコメントをいただいた。 知的労働って、そのものがデザイン行為。 はい。まさにそのとおりだと思います。 すべての知的生産活動はデザインであるしかも、それは職業的な仕事に限った話ではありません。 より日常的な生活における労働も含めてすべての知的生産活動はデザインであるのだと思います。 そして、そのことに気づいているかどうかで、人生は美しく有意義なものにもなれば、そうでないものにもなるのではないでしょうか。 柳宗悦さんの「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。」ということばも、クラウス・クリッペンドルフの「デザインとは物の意味を与えることである。」や「他人の意見を聞くことなしに自分で行う孤高の才能あるデザイナ

    seuzo
    seuzo 2009/06/04
  • 残念なデザイン。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん。これはいま実感としてすごく感じているところ。 残念なデザイナは、往々にして表面だけの議論をしたがります。「この曲線が美しい」とか。うん、そんなのね、どーでもいいの。こういうヒトは誰かの真似をした"もっともらしい"表面を並び立てるだけ。"なんだか"格好いいけど、深みがない。そして、なによりも応用が利かないから、提案としてとても打たれ弱い。 なんだか格好いいけど、深みがないデザインって、当に残念だということを、いま個人的に身にしみて感じているところです。 上記のエントリーでは、「表面」に対して「構造」の重要性が述べられていますが、僕はその「構造」の部分を「意味」と言い換えたい。 意味を混乱させるデザインその物がもつ「意味」を表現できていない残念なデザインが多すぎる。い

    seuzo
    seuzo 2009/06/04
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