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文化と増田に関するsh2ysdのブックマーク (4)

  • エジプトにいた増田です。 書いたら色々思い出したので、言語に関する単な..

    エジプトにいた増田です。 書いたら色々思い出したので、言語に関する単なる思い出語りをちょっとメモさせて頂きます。別に面白くないと思います。 わたしが滞在していた時はアラブ革命の前後だったので、段々シリアの方が物騒になってきて、シリアにいた外国人留学生がエジプトに逃げてきました。 それで何人かの子と同じフラットで住むことになったのですが、シリアで勉強していた人は当然シリア方言です。そしてエジプト方言に馴染んだ日人から見ると、シリア方言を話す青い目の西洋人がめっちゃかわいくて上品に見えました。 前提のお話をすると、アラブ世界というのは中世ヨーロッパみたいな感じに、「正式な言葉」と「普段使う言葉」がかなり乖離しています。フスハーと呼ばれる「正式な言葉」は、書き言葉のほか、宗教関係や法曹関係、演説やテレビのニュースなどで話し言葉としても使われます。テレビのアニメも教育目的でフスハーが使われていた

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  • エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑し..

    エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。 そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。 大前提ですが、自分は基、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。 (いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが

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  • n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれな..

    n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれないが、イランの国民性がちょっと特殊。 イラン人は強烈なプライドがある。 自分たちがずっと世界史の中心にいたと思ってる。 西洋の文化はギリシャ由来で、それもペルシャの真似だと思ってる。 イランというのは、アーリア人の国って意味で、ペルシャはイランの一地方の名前。 イラン人の歴史観は、いつの時代もまずイラン人が文化的な国を作り、栄華を極めたあとに必ず内紛でグダグダになり、その度に馬やラクダにのった蛮族(トルコ人やアラブ人)に滅ぼされるけど、イラン人は優秀だから官僚として取り立てられ、力を蓄え新しいイラン人の帝国を再興させる。それの繰り返しという歴史感。 彼らの中では、アラビア人の国もトルコ人の国もモンゴル人の国も、結局はイラン人官僚が支えてたし、それらの国が栄えたのもその前にイラン人が作った国とその文化があったからという理

    n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれな..
  • 「泥のように眠る」の「泥」は生物のことなのか?

    まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。 泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。 泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。 『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えのソースも不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコかクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。 「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』

    「泥のように眠る」の「泥」は生物のことなのか?
    sh2ysd
    sh2ysd 2024/03/09
    酔如泥
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