今、世間を騒がせている細胞のことに限らず、科学の研究分野で、研究を続けるためには予算が必要だから、とうぜん、その予算の取り合いが起こる。しかし、その予算を配分してくれる立場にいる人間が、本質的に何が大事かをわかっていないお役所の人であるというのが、今の日本社会の色々なところで問題を起こしている。 その配分者は、自分の中に軸がないものだから、物事を判断する尺度がない。それゆえ、「メディアへの露出」=「世間で注目されている」といった安易すぎる基準で物事を決定したりする。 私の印象では、小泉政権の頃から、その傾向が強まっているように感じる。 それは、科学の分野だけではない。芸術表現の分野でも顕著だ。とくに東京の公的な美術館などでは、既に評価付けや権威付けがされている有名画家の名前だけで人を呼び込むという手法が当たり前になっている。つまらないことに、有名画家の作品はたった一点で、「フェルメー
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