ブックマーク / blog.tatsuru.com (7)

  • 『ストーリーが世界を滅ぼす』書評 - 内田樹の研究室

    『ストーリーが世界を滅ぼす』(ジョナサン・ゴットシャル、月谷真紀訳、東洋経済新報社、2022年)の書評を頼まれて、東洋経済オンラインに寄稿した。 「ポスト真実の時代の指南書」 「ポスト真実の時代」という言葉が私たちの時代を形容する語としてふさわしいものであると実感されたのはいつか。これについてはかなり厳密に時日を挙げることができる。それは2017年1月22日である。その日に放送された「ミート・ザ・プレス」のインタビューにおいて、アメリカ合衆国大統領顧問ケリーアン・コンウェイは、ホワイトハウス報道官ショーン・スパイサーが、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ大統領就任式には「過去最大の人々が就任式をこの目で見るために集まった」と虚偽の言明をしたことについて問われ、その言明は「もう一つの事実(alternative facts)」を伝えるものだとして報道官の発言を擁護したのである。 この世

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    shiba-710 2023/01/05
  • 日本はこれからどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先日若い研究者たちと話したときに、自分の立ち位置はどこかということが話題になった。私は自分の立ち位置を「大風呂敷を広げること」だと思うと言った。「屋」、人はそれぞれ自分の得意なスタイルで研究すればよいのではないかと申し上げた。 私は若いときからいつも「ウチダの論文は、話は面白いが論証が雑だ」と批判され続けてきた。その通りなので反論したことがない。でも、「面白い話」を思いつくと、どうしても黙っていることができないのである。 助手の頃、フランスの文芸理論家モーリス・ブランショがナチ占領下のパリで出した『文学はいかにして可能か?』という文体論を「検閲を逃れるために暗号で書いた自らの30年代の政治活動に対する総括」だという仮説から逐語的に読み直すという大風呂敷論文を書いたことがあった。学界では「バカなことを言うな」と一笑に付されたが、その後ブランショ自身が「あれは暗号で書いた政治論文である」

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    shiba-710 2016/03/14
  • 半分あきらめて生きる - 内田樹の研究室

    半分あきらめて生きる 「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についてのお訊ねなのであろうと思った。 なぜ私にそのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に学校教育について論じた中で、「教師のたいせつな仕事のひとつは子供たちの過大な自己評価を適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として小学生が卒業文集に書

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    shiba-710 2014/05/16
    “思想は富貴の身分から生まれるものではない”(白川静)。これは確かに。「富貴の身分」を「リア充」と読み替えれば納得いく人も多いのでは。
  • 人間が人間であるための神について - 内田樹の研究室

    前に「辺境ラジオ」で名越康文先生と西靖さんとおしゃべりしたときに、「うめきた大仏」の話が出た。 これは海野つなみさん(このペンネーム、今はちょっと口に出しにくいですね)というマンガ家さんが投稿してくれたものである。 大阪駅の北ヤード開発はずいぶん前から衆知を集めて議論されていたのだが、いまだに話がまとまらないようである。 昨日もある雑誌から「北ヤードの再開発について」、三菱地所の役員ふたりと鼎談して欲しいというご提案を頂いた。 もちろん私が「うめきた大仏」構想の推進者であるということなどご存じないままに出た案であろうから、「私の話を聞いたら、不動産会社の役員さんたちは激怒されることでしょう」とお断りした。 「激怒」くらいで済めばいいが、そのせいで「誰だ、ウチダなんて野郎を連れてきたのは!」と上司に叱責されて起案した担当編集者が進退伺いとか減俸処分とかいうことになっては気の毒である。 でも、

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    shiba-710 2012/12/12
  • ガラパゴス化の症状としてのグローバリズムについて - 内田樹の研究室

    広島学院の文化祭で、中高生1000人ほどをお相手に講演。 文化祭のキックオフイベントである。 高校生を講堂に集めての講演は何度か経験があるが、中学生ははじめて。 でも、関係ない。 子供たちは「彼らの知性に対する敬意」が示される限り、その限界まで理解力を押し上げてくる、というのは私の揺るがぬ確信である。 「子供にもわかるように話す」人間の話を聴いているうちに知性的、情緒的な成熟が果たされるということはない。 一期一会。1000人の少年たちが私の話を70分間静かに聴いて下さるというのである。 このチャンスを逃すことはできない。 君らの理解力を限界まで高めないと「ついてこられない」話をしようではないか。 というわけで、まず国際関係における「移行期的混乱」についてお話しする。 来年のアメリカ大統領選挙の見通しについて、中国の産業空洞化について、EUの瓦解の可能性について、プーチンの資源外交と北方領

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    shiba-710 2011/11/04
    「日本は先進国中で相対的に社会システムが最も安定してる」というのは勇み足だと思う。米中とギリシャだけ見てるとそう思いがちだけど、たとえば豪州や北欧は日本より余程安定してるし治安もいい。
  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

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    shiba-710 2011/10/19
    内田樹先生の言うことは至極もっともだが、それ以前に「ある媒体」の問に驚愕。「日本では目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません」って…3・11以降の社会状況にどれだけ目を塞いでるんだ
  • マスメディアの凋落 - 内田樹の研究室

    光文社から出る『メディアと知』という仮タイトルのを書いている。 もともとは3年ほど前にやった授業の録音をテープ起こしして、それにちょいちょいと手を入れて・・・というお手軽のつもりだったのだが、書き始めると、「あれも書きたい、これも書きたい」ということで、どんどん話がくどくなる。 まだ第二講なのに、もう3万字。 全体で第七講くらいまでで収めたいのだが、収まるかしら。 メディアに論点を特化している。 マスメディア(テレビと新聞)の凋落、インターネットとメディア、ミドル・メディア、書籍文化、コピーライト、メディア・リテラシー、それにもともと「キャリアデザインプログラム」の中の授業だったので、最初のところではキャリア教育についても語っている。 マスメディア、とりわけ新聞の凋落について今書いている。 新聞メディアの急速な失墜をほとんどの人は「インターネットに取って代わられた」という通信手段のシフ

    shiba-710
    shiba-710 2011/03/20
    TVの震災報道を見て改めて思う/”「なぜ私は『こんな話』ばかりしているのか?」という自省をすることができない。(中略)その自省機会の欠如が、メディアのもつべき批評性の本質的部分をゆっくりと腐らてゆく”
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