「日本書紀」には様々な地震の記録がなされているが、天武天皇(?~686年)の時代はとりわけ地震の記述が多いことを友人から教えてもらった。そんな話を聞くと、自分で確かめたくなって実際に日本書紀を紐解いてみた。 「日本書紀」の地震の記録を読む前に、少し天武天皇の歴史を振り返ってみよう。 671年に大化の改新以来政治の中心であっ天智天皇が崩御され、皇位継承をめぐって皇子の大友皇子(弘文天皇)と皇弟の大海人皇子との間に争いが生じ、翌年に美濃・近江・大和などを舞台に壬申の乱が起こるのだが、乱は大海人皇子方の勝利に終わり、大海人皇子は都を飛鳥に戻して飛鳥浄御原宮で即位された。その天皇が第四十代の天武天皇である。 天武天皇は八色の姓を定めて、旧来の豪族を新しい身分制度に組み込み、天皇中心の国家体制を作られ、律令や国史の編纂事業が開始されたなどと教科書に書かれている。 「日本書紀」の巻廿八と巻廿九が天武天
![飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/26020039a101f675135c387a9a82f44ec2488d95/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-62.fc2.com%2Fs%2Fh%2Fi%2Fshibayan1954%2F20130626203322d1a.jpg)