気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (その1から読む) 「大潟村」。その地こそ日本農業の因襲を脱する新天地となるべく、期待された。農地解放で土地を手に入れた既存農家は、その土地にしがみつき、変化を受け入れない構造に既に固着していたので、人工の新天地へ寄せられる期待はより大きく輝いた。 干拓事業に関わった秋田県知事・小畑勇二郎が1960年に秋田に遊説に来た池田勇人首相と交わしたという話は印象的だ。 干拓事業の話題になった時、小畑が「干拓地では1人当たり2.5町歩の水田を作る」と説明すると、池田は言下に「そんな馬鹿なことはない」と否定したという。そして言葉をこう続けた。「これからの農業は2.5町ではいけない。5町歩にしなさい。5町歩に計画変更するなら予算はいくらでもつけましょう」(