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ブックマーク / higeta.hatenablog.com (6)

  • 1933年ドイツの全権委任法はなぜ成立したか - 日本近現代史と戦争を研究する

    1933年3月23日、ドイツの国会で可決された全権委任法(政府に立法権を委ねた法律)は、ナチス独裁確立の一つの画期となるものであるが、南利明「NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-」*1を参考にすると、法案が成立したポイントとして次の5つを挙げられる。 すでに授権法の前例があり、また31、32年には大統領による緊急命令が議会の立法を上回るなか、政府への広範な授権に対して人々の心理的抵抗は強くはなかったこと 与党であるナチス党(議席数288)・国家人民党(52)以外の議員が議決に参加しなくても法案の成立が可能となる条件が整えられていたこと 共産党議員(81)と一部の社民党議員*2が逮捕されていたこと 中央党(74)は、法案に反対してもすでに2月28日の大統領令*3がある限り、ナチスの暴力支配を止めることは不可能と考えたこと 上院に当たる連邦参議院議員は州政府の

    1933年ドイツの全権委任法はなぜ成立したか - 日本近現代史と戦争を研究する
    shidehira
    shidehira 2013/08/05
    どこが静かなんね、これの。
  • 屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 - 日本近現代史と戦争を研究する

    当時延安で発行されていた陝甘寧辺区政府機関紙『新中華報』についてはこれまで、第443期(1938.6.30)の「日侵略者一年来の暴行」という記事が南京事件に関する最初の言及とみられてきたが、第420期(1938.2.25)に、事件を報じる記事が掲載されているのを発見した。 (以下、適宜改行は引用者。■は判読不能文字。記事は第421期に続く。) 新中華報 420 1938.2.25 屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 據由南京逃出之某人談及敵軍在京暴行及南京現状、與敵軍屠殺焚焼、奸淫掠據、禁絶糧、偽組織醜状、敵軍政治軍事布置以及市■各情形如下‥上年十二月十三日深夜中火光沖天、殺聲振地、我軍於砲聲降降之下、悲憤撤退、全城即陥入極端恐怖緊張之中。留城市民、幸早已安全移入難民区内、惟未能及時撤退之一部兵士、前進既難、後退亦無路、軍人愛国殺敵心切、於是在十三日晨、城内各處槍聲大作、敵我巷戦遂開始

    屍山血海的南京 敵在南京之空然暴行 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する

    多くの研究者は、当時呼ばれていた「支那事変」ではなく、「日中戦争」と呼称する*1。「支那」に替わり「中国」という呼び名が一般的になったことが一つの原因であるが、では「事変」ではなく「戦争」と呼ぶのはなぜだろうか。 1960年代の代表的な研究である、日国際政治学会・太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』(朝日新聞社、1962-63、全8巻)は、第3・4巻を「日中戦争」上・下としているが、第4巻、23頁に次のようにある*2。 「事変」という名の全面戦争 戦争が華北から上海へ波及するにおよんでは、もはや「事変」を短期の局地紛争として収拾する可能性は失われていた。それにもかかわらず、満州事変以来なしくずし的な武力行動の積重ねの間に鈍磨した感覚は、伝統的な中国への軽侮感情とも結びついて、政府・軍部が事態の質をみぬいたうえで、適切な政策指導を打ちだすのを妨げたのであった。 数十万の大軍を送った

    「日中戦争」という呼称 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 「日台戦争」と呼ぶのは誤りか - 日本近現代史と戦争を研究する

    檜山幸夫氏は日清戦争および植民地期台湾を専門としているが、 その著書『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997)では、 第六章「台湾統治と台湾戦線」の第三節を「日台戦争」と題している。 同節251頁では、次のように述べる。 清軍兵士と異なり、彼ら(引用者注―台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。その意味では、台湾での戦闘は、正しく日台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになろう。 檜山氏は、日台戦争の終末を、 第二師団が凱旋した明29.5月末とみているようである。 自分たちが苦労して獲得した土地、郷土を守ろうとする者が 頑強に抵抗するのは、道理であろう。 現地に入った樺山台湾総督は、明28.6.10、伊藤

    「日台戦争」と呼ぶのは誤りか - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 近代日本軍事史関係文献 - 日本近現代史と戦争を研究する

    天皇の軍隊 軍隊の国民的基盤 男性史 社会学 植民地台湾 幕末〜明治初期 戊辰戦争 徴兵制導入 西南戦争 日清戦争 義和団事変 日露戦争 第一次大戦 シベリア戦争 〈未完〉 ※追記 09/4/28 各項目ごとにエントリを分けました。

    近代日本軍事史関係文献 - 日本近現代史と戦争を研究する
  • 法令の調べ方 - 日本近現代史と戦争を研究する

    戦前の法令には、 勅令、法律、条約、閣令、省令、達、告示など いくつかの形式があります。 条文については、 『法令全書』(慶応3年以降)や『官報』(明治16年以降)に掲載されています。 コピーする場合、『官報』のほうがコンパクトで、 分量が少なく済みます。 勅令や法律、条約に関しては、オンライン上から アジア歴史資料センターで条文を簡単にみることができます。 1.法律について調べる方法 狭義の「法律」とは、帝国議会の協賛を経て、 天皇の裁可によって成立するものをいいます。 条文をアジ歴で確認する場合、 「御署名原 ○○法」という形で検索すれば、OKです。 政府による法律案作成過程については、 国立公文書館所蔵の『公文類聚』(アジ歴で閲覧可)をみます。 法律案の審議については、帝国議会の議事録をみます。 議事は、 会議での法案提出説明・質疑→委員会における審議・採決→会議での採決 の順

    法令の調べ方 - 日本近現代史と戦争を研究する
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