2年半ぶりの更新。 今日、TL上で佐々木俊尚さんのこのツイートが話題になっていた。 原発の安全神話を生みだしたのは電力会社と政府だけではなく、ゼロリスクを求めた市民の側にも責任があるということを自覚しましょう。 これについて、tweetしたのをもとにFacebookに書きなぐったのを、こちらにも転記しておく。 ここで佐々木さんが言ってるような「市民がゼロリスクを求めたのも安全神話が生み出された一因」みたいなのを見かけたら、まず考えなければならないのは、そういう見方は、「市民はゼロリスクを求めている」という専門家等が抱く根拠レスな信念(=「ゼロリスク神話」)である可能性だ。 たとえば原発反対・脱原発派が実際に求めてきたのは「ゼロリスク」ではないだろう。それはあくまで表面的な見かけで、主張の本義は「一発過酷事故が起きたら大変な被害が出るようなもの(ゼロリスクにできない限りは容認できないようなも
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