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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (2)

  • 「ふつうの人びと」の日常 - heuristic ways

    伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』を読んだ後、改めてナチズムに関する研究書が読みたくなって、図書館に行ったところ、デートレフ・ポイカート『ナチス・ドイツ――ある近代の社会史』(1991年、原著1982年)*1というがあって、副題に「ナチ支配下の「ふつうの人びと」の日常」と付けられている。これまで私はナチズムやファシズムに関する入門書的なや論文をいくつか拾い読みしたことはあるが、断片的な知識以外よくわからないことが多い。このもまだ途中までしか読んでいないが、ところどころの「断片」が妙にリアルに共鳴して感じられる瞬間があって、惹き込まれてしまう。 国民がナチ政治に積極的に合意し、支持するかどうかはつぎのことにかかっていた。つまり、この体制が、物であれ、みせかけであれ、ともかくたえずあたらしい成果をつうじて、保証、上昇、意味ある生活の展望といった、基的な日常的要求の実現能力を演出

  • スチュアート・タノック『使い捨てられる若者たち』 - heuristic ways

    こういうを待っていたのだ、私たちは! 思わずそう快哉を上げたくなる。このは私たちの職場で何が起きているか、私たちがそこで何を経験しているかを観察し、調査し、聞き取り、書き留め、分析し、理論化した素敵なだ。「私たち」とは、主に飲業や販売業などのサービス労働、一時的で不安定ないわゆる「腰かけ仕事」をしている若者や労働者の総称である。20代の頃から現在に至るまで、喫茶店・電器店・飲店・コンビニ等で働いてきた私には、こので取材・インタビューされている若者や労働者たちがまるで自分の同僚のように身近に感じられる。彼らのことが体験的によくわかる。たとえば、こんな声。人がひっきりなしにやってきて、何ごとも終わらないし、はじまらない、いつもサービスを提供している、しかも同じサービスを何度も何度も。客が当に意地悪だったり、意地悪な感じで話したりしてきたら、こっちも意地悪な感じで話し、嫌味ったらし

    shidho
    shidho 2006/04/28
    なんとなくそんな感じが。
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