「戦地に赴いた父も、残された家族にとっても戦争は理不尽なものでした」。京都市伏見区の大薮和弘さん(74)はとつとつとした口調で語り始めた。 勤務先を定年退職した後、34歳で戦死した父、量雄(かずお)さんが「最期を迎えた場所を知りたい」と、ニューギニア島近くのインドネシア・ビアク島を訪れた。62歳のときだ。京都駅から出征した父、見送った身重の母 大薮さんには、3歳だった昭和18年、京都駅で出征する父を、身重だった母、小ゆきさんと見送った記憶がかすかに残っていた。 湿気に包まれた密林内の洞窟の壁は黒く、火炎放射器で焼かれた跡が残っていた。日本から南へ4千キロ。米軍に追い詰められ、日本軍はここで多大な犠牲を払った。「まじめな性格だったという父は、どんな思いで死を迎えたのか」と、改めて思いをはせた。 戦争で量雄さんを亡くした一家は、大薮さんと小ゆきさんのほか、2歳下の弟、父の出征後に誕生した妹が残