16年かけて4・4万キロを踏破 江戸時代後期、北方からの度重なる外国船来航と、ロシアの接近に警戒を強めた徳川幕府は、日本沿岸防備のための具体的な対策を講じる必要に迫られる。この時期に日本各地の沿岸部の測量に従事したのは、伊能忠敬(いのう・ただたか)だった。 寛政12(1800)年、幕府の許可を受けた忠敬は数名の部下を連れ、16年間に及ぶ全国測量の事業を開始した。忠敬は最初の測量を、蝦夷地(現在の北海道)およびその往復の北関東・東北地方において行う。その後、日本全国の測量事業を文化13(1816)年まで続ける。この結果をもとに、「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」(以下「伊能図」)の作製に取り掛かった。しかし、忠敬は完成をみることなく、文政元(1818)年に73歳で没する。伊能図が完成するのは、それから3年後の文政4(1821)年であった。 蝦夷地から九州までを表したこの地