歴史を遡ると、古代の日本は中国、そして朝鮮半島の影響を大きく受けてきました。漢字や仏教・儒学などの文化や、稲作や鉄製農具、養蚕、機織りなどの技術は、大陸や朝鮮半島からやってきた渡来人によって日本に伝えられました。それ以外にも、日本の国家形成において極めて大きな役割を果たすシステムを中国から導入しました。それが「律令」です。 律令とは、ざっくり言えば「律」は刑罰のきまり、「令」は政治を行う時のきまりで、中国では秦のころから整備されはじめ、隋・唐の時代に精緻化され、明の時代にまで機能し続けました。日本では奈良時代に中国にならって律令に基づく国家機構の整備に着手しますが、同じころに新羅や渤海といった中国の周辺国も律令を取り入れています。中国の律令制はそれほど先進的で、統治機構を整備するために重要な役割を果たすものでした。 律令制整備しながら38年で滅亡した隋 まずは日本が国作りの手本にした中国で