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ブックマーク / muse-a-muse.seesaa.net (4)

  • ソーシャルメディアの感情消費・共有的側面とその限定的可能性: muse-A-muse 2nd

    書き終わって自分でも読むのちょっとめんどうだなっていうぐらいなのでいちお全体の考察を通じたあとでのまとめ的な所感を最初に貼っとこう ・いちおまとめると、social mediaの使用動態はジャーナリスティックな情報共有的なものが期待されるというよりは、現状では情報消費(感情共有)的な毛づくろいなところが多いように思う。 ・しかし、それもマスメディアなどを介して直列につなげば恊働の可能性を見い出せるし、情報の蕩尽的消費もそれはそれ自体で可能性があるようにも個人的には思う(→複雑系の思考) で、以下が考察内容 -- 今回の震災で「マスメディアの時代は終わった。というかソーシャルメディア時代への決定的な基点となった」というような言説が一部で見えて、 冷静な人は 「そんなこといってもやっぱマスメディアが信頼性の担保してるところはあるし、話題の出発点もマスメディア(というかテレビ)だったりするしなぁ

  • muse-A-muse 2nd

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  • ネット時代の「文化の力」とは?   情報力-国民主権-国民国家-民主主義: muse-A-muse 2nd

    この辺を見ながらぼけーっと、わりと前から思ってたことがおぼろげにまた見えたのでメモ程度なつもりで記しとこう。 ・「武力 → 経済力 → 情報力」的なとらえ方の話 東さんの言ってることはシステムが成熟してくると内部の過程がルーチン化して固定し、経験・流れがデータベースとして蓄積されるって話。そんで、そのデータベースには誰でもアクセス可能なので流動性と互換性、新規参入が高まる、と。 モジュール化とオープンアーキテクチャをイメージすれば判りやすいと思う。 データベースとかオープンアーキテクチャがサブシステム的なものかどうかは留保が必要だろうけど。 そんでこの流れで思ったのは 『物理的力(武)の次に経済的な力(金)が来ていまは消費を介して経済と文が接合され、それが内部的には統治のシステムとして受け容れられてるように思うわけだけど、自分のオツム的にはこの辺のメカニズムの説明がしにくい。東さんだと出来

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