必読に関するshindouのブックマーク (7)

  • 掲載されなかった部分 - finalventの日記

    掲載されなくてプンスカということではなく、ただ、こんなものでしたよというメモ。 ⇒J-CASTニュース : 米国で著名ブロガー死亡相次ぐ 日でも「ドクターストップ」発生 1)「極東ブログ」を運営することで、健康面での悪影響は大きいと思いますか。またこれまでに、ブログ運営をめぐって病気などにかかった、生命の危機を感じたということはありますか。差し支えない範囲でお教えください。 回答 直接的には健康面での悪影響はありません。極東ブログを始めたのは2003年の8月で4年間は一日も欠かさずエントリを投稿していたのですが、そこには一種の義務感のようなものがあり、体調が悪くても一種の執念で継続していました。5年目に入り、そうした無茶は止め、書けないときは書きません。 2)ブログの運営することについて多くの時間が割かれるということもあるかと思いますが、それでもブログを運営する理由は何ですか。 回答 2

    掲載されなかった部分 - finalventの日記
  • 新入社員か - finalventの日記

    今日から社会に出るという人も多いのだろう。何が大切かみたいな話を年配者としてはついしたがるものだが、そうした年配者は自身の幸運を正当化しているに過ぎない。 大半の人は社会というサバイバルゲームに落ちこぼれるし、その落ちこぼれぐあいのなかで身の程の幸せの枠を引く。 そのうち、死の桃源郷が見るうちになんのために仕事をしてきたのかなという反省の部分に家族とか仲間を思う。まあ、そのくらいなものだ。結果からすれば、その上手な落ちこぼれの知恵を身につけるべきかとは思うが、それを言ってもね。 というわけで、無粋の頭をひねるに、社会人に大切なことは「ケツを割らない気心」だと思う。これは微妙なんで、「わたしは絶対に責任を取る」ということとは違う。そういうヒロイズムでどうとなるものじゃないし、船が沈みかけきたら二番手くらいに逃げるほうがいい。そうではなく、「わたしがケツを割らなければできる部分の限界を意識しそ

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  • 米長邦雄「人間における勝負の研究」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    私家版・金子金五郎全集を眺めていたら、僕の人生に多大な影響を及ぼした名著「人間における勝負の研究」(米長邦雄著)についての言及があった。「近代将棋」昭和57年10月号の金子教室、米長・谷川戦解説の冒頭である。 私などは勝負の世界に育ちながら米長氏のように勝負に熱心にはなれなかった。どちらかというと将棋を観察する側の一人である。その姿勢はどの手が最善かということの外に「いかにしてこの手が生まれたか」という過程の方に興味があった。過程の背後にはその人らしい論理がある。感性がその底に動いている。それは名人級になるほど将棋という芸に仕上げているということも人間の秘密のひとつであろう。 この金子の文章を読むと、僕がなぜ金子に惹かれるかが改めてよくわかる。勝負より観察、事象の向こうの人間への関心・・・。人間としての傾向がおそろしく似ているからだろう。このことについてはまたいずれ書くが、今日のテーマは米

    米長邦雄「人間における勝負の研究」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 2007-12-14

    2007-12-14 『B.A.S. 爆血馬自動狙撃術』亀谷敬正 競馬 感想文 仏教 野球 B.A.S. 爆血馬自動狙撃術作者: 亀谷敬正出版社/メーカー: 東邦出版発売日: 2007/10メディア: 単行 クリック: 4回この商品を含むブログ (5件) を見るなぜこのが必要だったのか ふだん古しか買わない俺なので、一冊三千円級の新刊というと尻込みする。尻… 2007-12-14 もうフジテレビの競馬中継はいいです 競馬 テレビ 同番組は純粋な競馬中継に重きを置き、競馬ファンに長く愛されてきた。が、既存のファンのみならず、これから競馬を始めたい初心者でも楽しめる番組作りをめざし、内容を一新することになった。番組タイトルも、そのままズバリ「みんなのケイバ」に。 http:/… 2007-12-14 ボートピア横浜に行ってきた 競馬 関内 このところこの日記に日に二三人「ポートピア 横浜

    2007-12-14
  • あのスク水カラーの勝負服は見られずも。 - 殿下執務室2.0 β1

    てな訳で、Dylan Thomas は入国できず回避、となった。 この辺りの競走馬登録に関する詳しい定義はよく分からないが、さしあたり当方としては入国してないこの馬については、輸入馬を示す表記を行わないこととしよう。 それにしても、こちらから遠征しようとしたメイショウサムソンが馬フルで引っ掛かり、向こうから来てくれた Dylan Thomas が EVA の抗体で引っ掛かるというコンボに関しては何とも言葉にならないが、過去をひも解けば、よりによって風邪でJC出られなかった*スカイチェイスの仔の*セイントリーがやっぱり風邪で出走取消とか、マチカネタンホイザの(鼻出血じゃなくて)鼻血@JC→ジンマシン@有馬の連コンボでG1連続スクラッチとか、こういうのは何か結構起きるときにはセットで起きてしまうみたいな側面はあり、そういう奇妙な歴史が繰り返されるのもまた競馬なのかも知れない。 個人的には先のエ

  • 嫌いな人、嫌いな議論 - novtan別館

    僕はあまり人のことを嫌いにならないのだけれども、それは多分必要以上に人と踏み込んだ関係を持たないようにしようとしているからだろう。別に議論をしていても、そこであまり意義を感じなくなったら「あーそうですねごもっとも」で済ませてしまうことも多い。譲れるところであれば。 だけど、こういう議論をする人は嫌いだ。それは、他人の言葉を勝手に解釈して、その解釈が正であることを言葉を発した人が否定しているにもかかわらず、その発言を拾い集めてきて、論理的にはこうでしかありえない、自分が正しいと押し付けるような議論。言葉を発した人にとってはその意図だけが重要であって、こう解釈できますよね、ってのは正しいのかも知れないけれど、それを言ったら世の中言葉の行き違いなんて絶対起きないように出来ているわけではなし、過去を振り返ることは大事だけれども、その刹那刹那で常に思考が一貫していることを求められたら何もしゃべら

    嫌いな人、嫌いな議論 - novtan別館
  • 長いことネットのシーンにいて - finalventの日記

    なんというのか、なんていうのかな。余計なこと言い過ぎだなとは思う。 世の中には教え魔というタイプの人がいる。教えたくて教えたくてしかたがない。まあ、すでに失笑を買いそうだが、私は多分にそれに近い。 ただ、なんというか、自分は自分なりのモラールを持つべきだと思うけど、他人は他人だと思っている。 ただ、それでもたとえば、ジェノサイドが進行しているとき、過去のジェノサイドを問うより目先のジェノサイドを問えよと言いたくはなる。ただ、言っても空しい面はあるし、結局とのこと聞かない人は聞かないというのが他者ということかもしれない、というところで、ふと虐殺されていく人もその他者に放り込みそうになる。 まあ、よくわからない。 結局のそのあたりの払拭されない部分で、奇妙な憎悪をというか私から見れば無理解の憎悪を買うし、私という人間はイデオロギーよりファクツとかロジックの人なんで、けっこう恐ろしい事実もまず事

    長いことネットのシーンにいて - finalventの日記
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