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ブックマーク / srad.jp (5)

  • 書写言語研究におけるサンプルデータの重要性と妥当性 | yasuokaの日記 | スラド

    私(安岡孝一)の2016年2月26日の日記の読者から、近江龍一・西原陽子・山西良典の『ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング』(人工知能学会第31回全国大会論文集, 2M2-OS-34a-1, 2017年5月24日)という論文を読んでほしい、との御連絡をいただいた。読んでみたのだが、書写言語研究におけるサンプルデータの重要性を全く理解していない論文で、正直、頭が痛くなった。 研究では猥褻な表現に関する文を集めるために,pixivに投稿されているR-18小説を用いた.R-18小説に分類される小説の中から,2016年10月のウィークリーランキングTop10の小説を選択し,分析に用いた. そんな偏ったサンプルデータ10で、まともな結果が出るわけが無いだろう。しかも、なぜpixivに限定しなければいけないのか、pixivに限定する意図は何なのか、この論文には全く書

    書写言語研究におけるサンプルデータの重要性と妥当性 | yasuokaの日記 | スラド
    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2017/05/26
    “西原陽子と山西良典は、以前、キラキラネームの研究に際しても、かなりおかしなサンプルデータを使っており、私自身こっぴどく指摘した”
  • 書かせる試験は階層の固定に寄与するだろう | taggaの日記 | スラド

    B. Bernstein が言語コード論で、 労働者階級の子どもが、主観的に文脈依存的に語る制限コードのみを獲得するのに対して、 中産階級の子どもが、制限コードに加えて、客観的に文脈非依存に語る精密コードも獲得する、そういう傾向があることを示そうとした。 これが正しければ、 学校という精密コードが求められる場で、 制限コードのみをもつ労働者階級の子どもは、 大きなハンディキャップを負わされている。 とはいえW. Labovは、 「黒人英語」の研究を通して、 「制限コード」のようなものを使っていても、 思考能力と豊かな表現力があることを示している。 なのだけど、 また「制限コード」で語られるテキストは「精密コード」を知るものが読めば、 非論理的に見えてしまう。 そして、こういうテキスト/談話の構成のしかたの差違に加えて、 社会方言に対するステレオタイプは、厳然としてある。 ということで、書か

  • Googleが人工知能「DQN」を開発 | スラド

    Googleがビデオゲームをプレイする人工知能「DQN」を開発したと報じられている(日経新聞、TechCrunch)。 DQNはビデオゲームの攻略法を遊びながら学ぶという人工知能ゲームの詳細を事前に指定することなしに、自らプレイしてハイスコアを得る方法を学んでいくという。スペースインベーダーやブロック崩しなど49種類のゲームをプレイさせたところ、最終的には人間並み、もしくはそれ以上の得点を得られるようになったそうだ。 TechCrunchによるとDQNがプレイしたのは古のゲーム機であるAtari 2600のゲームだそうだが、今後はより複雑な近代のゲーム機にチャレンジして欲しいものである。ゲーム開発者的にはデバッグプレイをしてくれるAIの開発が待たれるところかも。

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2015/02/27
    『ピース電器』のゲーム小僧くんだ!
  • デス・スター建設は無理。ホワイトハウスが公式回答 | スラド

    We the Peopleで3万件以上の署名を集め、米政府が正式に請願として検討されることになったデス・スター建設だが(/.J記事)、あるAnonymous Cowardのタレこみによれば、近い将来に実現することはないとの公式回答をホワイトハウスが発表したようだ(We the Peopleの記事、 CBS Newsの記事、 スポーツ報知の記事、 家/.)。 主な理由としては、 デス・スターの建設には85京ドルの費用が見込まれる。政府は赤字を減らすべく努力しており、増やすつもりはない。 政府は惑星の破壊を支持しない。 一人乗りの宇宙船で破壊できてしまうような根的な脆弱性を持ったデス・スターに、多額の税金を費やすことはできない。 とのこと。

  • 先生いじめても…。 | naka64の日記 | スラド

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-0b56.html 教材が作れないと悩む、と書いた時点で「あるいは子どもたちから「淫」の字をつきつけられてヒヒラ笑いされるのが怖い」と言うにしかず、ではありました。 教員集団としてはこちらには「そこまで言うならおまえが1年間教員として過ごす1単元として作って見せろ」「教師の仕事場は外野のゴミ捨て場じゃねーぞ」と言うクレームが出てくるのでしょうか。クルーグマンが「FRBにもできないことを日の当局に要求していた」と陳謝した事態にも通じるものがありそうな。 (わたし、「裁判員裁判でグロのパワポを出す気か」という批判が出てきたときには「刑事訟務は賤業かよ」とあきれかえったものですが。) 一方、「配れない」「配れるものが作れない」のは純粋な外部要因で説明できることです。外部の言霊主義を跳ね

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