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ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (8)

  • ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    理性を解明し規定することが正当に且つ必然的に《論理学》と呼ばれるかぎり、西洋的な《形而上学》は《論理学》であるとも言える。存在者たるかぎりの存在者の質は、思惟の視圏のなかで決定されるのである。 ハイデガー「ニーチェ ヨーロッパのニヒリズム」isbn:4582761844.78-9より カテゴリー論と形而上学の関係 ハイデガーの大きな問題点は、科学と技術を安易に同一視しているのと同じように、論理学と形而上学をも一緒くたにしてしまうことだ。この場合、形而上学とはアリストテレス的なカテゴリー論のことであり、トマス・アクィナス経由で西洋哲学が受け継いでる思考法でもある。実際にハイデガーは(若き時分にブレンターノの論文で出会った)トマス・アクィナス的なアリストテレス理解への批判を出発にしているところがある*1。ところで、カテゴリー論とは何か。カテゴリー論とは物事をカテゴリーに分類する議論のことだ。

    ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    shinimai
    shinimai 2008/11/15
    相変わらずアツイエントリーだ!
  • 分析哲学が分かる人だけにしかお勧めしない記事です - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    いきなり追記:内容に自信がなくて書いてから公開をしばらくためらっていたのですが、思い切って出しちゃいます。適当に割り引いて読んでください さらに追記:勘違いと思えるところを一部削除(横棒の入った部分)しました(08/10/11) 注 こちらのブログのコメント欄に書こうとしたコメントを、長大で難解な文章になったので、別にしてそのままこっちに転用(文体が滅茶苦茶なのはそのせい)。一切分かりやすく書いてないので、理解できなくても全く心配ありません(むしろ矛盾や論理の破綻がないか心配なくらい)。 理解するコツは「様相命題→普通命題→モデル」の三段階であることを考慮することです。来のモデル論的論証は「普通命題→モデル」レベルの話だが、モデル論的論証による批判が強烈になるのは様相命題を持ってきたときである(なぜなら可能世界意味論が指示の因果説や選り抜きの集合に頼っているからだ)。ちなみに、この文章で

    分析哲学が分かる人だけにしかお勧めしない記事です - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • トロープと普遍概念 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ある分析哲学のの訳者解説を眺めていたらおかしな言葉の使い方を見かけた。論理記号付きの引用は面倒なので、普通の言葉に直してみます。 xが藍トロープを持っているならば、そのxすべては青トロープを持つ これを認めてしまったら、トロープ概念を普遍問題に持ち込む意義が失われてしまう。トロープとは(主に私たちに感じられるような)物の具体的な特性である。赤っぽい色合いとかふわっとした風合いがそうである。これだとクオリアと似ている感じもするがもちろん違う。トロープは存在論的な用語なので、むしろトロープがクオリアの源と考えた方がいいくらいだ(ただし実際にはそういう議論はあまり見ない)。だから誰にも感じられていないトロープも存在する。ここで重要なのはトロープは普遍概念的に分類される以前の物の具体的な特性であることである。だから、色トロープや形トロープなどはまだありえても、藍トロープだの青トロープだのはありえ

    トロープと普遍概念 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 現代の普遍論争の概念的枠組みを考える - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    的にネット上で手に入る学術的な資料ばかりから判断してるので注意 現代の普遍論争について調べてみて困ったことは、学者によって概論的な見解があまりに異なることだ。心の哲学における心身問題の扱いが教科書的に比較的整理されているのに比べると、形而上学における普遍問題の扱いはうまく整理されていない。もちろん基となる概念や文献はあるのだけれど、それをまとめる段になると意見が一致しない。例えば、D.M.アームストロングは普遍説とトロープ説を排他的に対立させて考えている。しかしア−ムストロング自身が認めているように、普遍とトロープを両立させている哲学者は存在する。それに対して、アームストロングはオッカムの剃刀を振り回して、余計な概念の共存を一切認めない。しかし、どうもこれは偏った見解に思えてならない。 現在の普遍論争でよく知られている問題として束説と基体説の対立がある。中立的な言葉である性質を用いて

    現代の普遍論争の概念的枠組みを考える - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    shinimai
    shinimai 2008/11/06
    非常に面白い
  • 言語進化:科学の最も難しい問題?(1) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    原文:Language Evolution:The Hardest Problem in Science?,Christiansen and Kirby,2003(PDF) 訳注:著作の内容を紹介した第1章から、全17章中のうちの9章までの説明の抜粋、ただし所々で訳の省略を含む 私たちを人間たらしめているのものは何か。私たちが環境に与える影響を考えると、自分たちを他の一千万種かそこらとは質的に違う特別な種だと感じるのも無理はない。おそらくそう感じるのは、自分自身について考えるときに客観的になるのが難しいからなのだろう。結局のところ、生物学が私たちに教えてくれるのは、どんな種も特定の生態学的な地位においてうまく適応している事実だ。にもかかわらず、人間にはどこかおかしなところがある。人は巨大で複雑で多様な社会システムに参加している。人は地球上のほぼすべての環境で生活している。人は前例のない方法

    言語進化:科学の最も難しい問題?(1) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • そこでただ突っ立ってないで、考えなさい(前篇) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    原文:"Don't just stand there, think"The Boston Globe,January 13, 2008 最近の研究によって、私たちは脳だけで考えているのではなくて体でも考えてると分かってきた。 あなたが、紛らわしい文書を読んでいたり、クロスワードパズルを解いたり、鍵のありかを思い出そうとしたりしているとき、自分の体を使って何かしてますか?座ってる?立ってる?歩いてる?手で何かいじくってる?独特のパターンで目をさまよわせている? この質問にどう答えるかで、あなたが読んでいる物や解こうと悩ませている物や取り戻そうとしてる鍵などの問題を解決するのにどれくらい時間がかかるのか分かるのです。 脳はよくコンピューターのようなものに見立てられるに対して、体は万能の道具であるかのように見立てられます。しかし、近頃の体に関する研究によって脳と体はもっと協調的に働いていると分か

    そこでただ突っ立ってないで、考えなさい(前篇) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    shinimai
    shinimai 2008/02/27
    そこでメルロ・ポンティの復活です(笑)。まあでも当たり前といえば当たり前だよね。
  • 俗流クオリア論批判を宣伝してくれる人募集 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    公開した俗流クオリア論批判をいろいろ加筆訂正(主に注)したり、コメント欄でもらった宿題に答える準備したりと、まぁ隠れていろいろやってはいるのですが、実は俗流クオリア論批判の宣伝ってのもちょっとやっています。茂木氏への批判をネット検索したら、あまりに大した記事が出ないのにあきれてしまった。もちろん斉藤環による批判はあるのだが、あれは私からすると相当に甘い。みんなして疑似科学批判には懸命なくせに、こういう大物の批判はろくにしてくれない*1(せいぜい批判が自己目的化した内輪受け)。で、(少しだが)めぼしいサイトにコメントで俗流クオリア論批判を宣伝してみた。ただしバカに騒がれるのにはコリゴリなのでかなり選んで宣伝している(私が名指しで批判しない理由のひとつもこれ)。 というわけで、茂木氏はなんかおかしいと思っている人を見つけましたら、この俗流クオリア論批判のアドレスを教えてやってください。ただし、

    俗流クオリア論批判を宣伝してくれる人募集 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    shinimai
    shinimai 2007/12/17
    クオリアって何って疑問に思う人には紹介したいエントリではあるんだが、マイナスイオンとかと違い俗流クオリア論で損する人は極端に少ないと思う。認知科学者と心の哲学の一部の研究者が誤解されるだけというか。
  • 日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    はクオリアなる言葉が一般にも知られている奇妙な国だが、しかしその一般的なクオリア理解はもともとの哲学的なクオリア理解とはあまりに異なっていてとてもおかしい。日でクオリアなんて用語が流行ったのは、小泉旋風真っ只中のポピュリズム時代でのある脳文化人Mの活躍のせいなのだが、未だにその後遺症はあちこちに残っている。それを正すのがこの論考の表向きの目的だ*1。 もうひとつの目的は、心の哲学における機能主義を正しく理解してもらうことだ。今でも機能主義は心の哲学どころか認知科学でも主流の立場だ。日ではごく少数の例外を除くと心の哲学における機能主義がろくに受け入られておらず、まともな擁護どころかましな解説さえろくに見かけない。まともな解説も理解もされてないから、まともな批判がされているといえない。クオリア概念はもともと機能主義批判として現われたのだから、クオリア解説と機能主義解説をセットにするのは

    日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    shinimai
    shinimai 2007/11/24
    まったくもって正しいんだけど、俗流クオリアとかを言っている人はこのレベルのことも理解できないんだと思われる。
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