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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (7)

  • 共和主義・共同体主義の経済学・試論 - shinichiroinaba's blog

    コミュニタリアンに肩入れする理由などないのですが、「俺がコミュニタリアンだったらこう論じる」って感じかな。 以上のように考えるならば、我々は、共同体主義、ないしは共和主義の経済理論、政治経済学、というものの可能性についても考えることができよう。 共同体主義、共和主義の独自の立場からの一貫した経済政策論、経済体制構想はあまり見受けられない。比較的多岐にわたる論点を取り上げたマイケル・ウォルツァーの『正義の領分』などを見ても、リベラル左派の福祉国家論、社会民主主義的混合経済体制論と有意に異なる議論が提示されているわけではない。 共和主義者、あるいは共同体主義者においては、「政治」のパラダイムは周知のとおり西洋古典古代、ギリシアのポリスや共和政ローマに求められるわけであるが、「経済」のパラダイムが不分明である。古典期の共和政、デモクラシーの経験が、一見したところとは違って近代以降の議会制、政党制

    共和主義・共同体主義の経済学・試論 - shinichiroinaba's blog
    shinimai
    shinimai 2011/05/04
  • 某東京大学大学院生の意見 - shinichiroinaba's blog

    優秀な学生の確保のためというかなんというか、博士課程院生の授業料の実質免除という戦略に東大を含めたいくつかの大学が踏み切っているわけですが、今年度より私どもの職場に着任した某若手のおっしゃるところでは、この政策意外と院生たちのあいだには不評だそうで。 「そんなことしたら、今でもろくに指導してもらってないのに、ますます教官たちがまともに指導してくれなくなる!」だとか。 どうなんでしょうねえ。なんだか非常にうなずける半面、そもそも国立大学の教官には昔から学生を「対価の分のサービスをしてあげなければいけないお客様」と考えるハビトゥスなんか、なかったような気もするんですが……。 関係ないですがうちの職場も新人が3人入って今年度から大いに若返りまして。みんな私などとは違って正統派かつ実力派で、「開発社会学」担当の石原俊氏は大作の博士論文を公刊済みで、某書評紙の論壇時評とかしてるし、「教育社会学」担当

    某東京大学大学院生の意見 - shinichiroinaba's blog
    shinimai
    shinimai 2009/04/13
    ぜんぜんその院生の気持ちがわからん、そもそも金払っても指導なんてされない
  • なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog

    東さんは煽った。常野さんは乗った。実際に乗られてみて東さんは「煽りが軽率だった」と反省して小役人的対応をとった。東さんの対応には手続き的なレベルではさしたる問題はないが、度量の狭さを批判されてもおかしくはない。 しかしこんなことをしたところで常野さんの名が上がるわけではないし、もちろんこんなことはどちらにとっても「いらん苦労」で「勉強」「芸の肥やし」にはならないことは明らか。 何より常野さんはまず最初にやるべきこと、つまり東さんの議論とデリダの議論を突き合わせてきちんと検討する、ということを自分でしていない。「卑怯」とはいわない。その呼びかけに応じてそれっぽいことをやってくれてる人が少しは出てきたからだ。しかしせっかくそういうものが出てきたのであるから、自分でデリダと東をきちんと読みこまないまでも、援軍の人たちの議論をきちんと咀嚼して、自分なりに何かまとまったことを言うべきであった。 常野

    なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog
    shinimai
    shinimai 2008/12/14
    教育的な指導。ありがとうございます!
  • ゲームと公共性

    新宿高校で配ったメモ。 - 明治学院大学社会学部社会学科 出張模擬授業(都立新宿高校、2006年6月28日) ゲームと公共性 稲葉振一郎(明治学院大学社会学部教授 URL:http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/) *ここでいう「ゲーム」は日語で言うところの広義の「テレビゲーム」、英語で言えばvideo gameを中心に考えている。狭義の「テレビゲーム」は言うに及ばず、ファミコンなどの家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機用のゲームはもちろん、パソコンゲームや業務用マシン上のゲームをも含む。「ヴィジュアル中心のコンピュータゲーム」と言い換えてもよい。 オンラインネットワークゲームについては、とりあえず考察から除外する。これは重大な限界である。 1 80年代半ばから、おおよそ90年代半ばまでの十余年の間に、日においてゲームは娯楽の王様――に近いところまでのポピュラリ

    ゲームと公共性
    shinimai
    shinimai 2007/12/21
    うーむゲーム史としては面白いけど、ハーバマスとか関係なくね?
  • アイマスって何?  - shinichiroinaba's blog

    って俺が通りますよ、っと。 いや http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20071109/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060629/p3 の続きなんですが、初音ミク否定派(というと乱暴ですが「単なるDTMの新機軸に過ぎん」というお立場?)の鈴木謙介君に、ミク台風の前提として「アイドルマスター」というものがある、というお話は聞いていたのだが、ちょいと調べるとたしかにこのアイドルマスターはミク同様、というかそれ以上に大変なことになっている。来この「アイドルマスター」とは育成系ギャルゲーにして音ゲーであるわけだが、そもそも現在のブームはゲーム体ではなく、ニコニコ動画を主戦場、Youtubeを副戦場として展開されている、ファンがつくるMADビデオの方が主体となっている(ゲームに触ったこともない「見る

    アイマスって何?  - shinichiroinaba's blog
    shinimai
    shinimai 2007/12/21
    おもしろかったけど、稲葉先生は何の先生かますますわからんくなってきたです。
  • 浅羽通明『右翼と左翼』評by韓リフ先生 - shinichiroinaba's blog

    当の書の対立軸は、書の著者も属すると思われる「理念」なくしては生きて行けない人たちvs現実で十分お腹一杯生きてける人たち との対立だと思う。この対立軸を全面に出していないために、例えば小泉政権のこーぞー改革の内実=現実の分析さえも、「平等」を犠牲にして「格差社会」を容認した、という紋切り型=「理念」の零落形態を採用するにとどまってしまっている。 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061203#p2 きわめて少数の例外をのぞいてほぼ思想系のの常道であるが、書も全くマクロ経済政策なんか歯牙にもかけず、また「格差社会」についても大竹文雄さんの議論などもどこかに吹っ飛び、その意味では浅羽氏の採用している立場はすでに指摘したけれども「理念」なくしては生きてない人&そんな人たちを主要読者層としているので、それになじみやすい?橘木先生や金子勝氏らのセ

    浅羽通明『右翼と左翼』評by韓リフ先生 - shinichiroinaba's blog
  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - 高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)

    男マスダ(定職就任おめ)激奨につきこうてみた。まだ半分くらいしか読んでいないのだが、頭を抱える。 確かに随所に 「ナショナリズムはのっぺりと国民全部に拡散するのではなく、人種や階級といった、国内における立場の違いを、色濃く反映するのがふつうなのではないだろうか。」(20頁) とか、 「日の責任にすべてを還元し、それに都合のよい相手方の声だけ輸入を企てるという論法には、むしろ日の覇権主義へのノスタルジーを感じる。」(24頁) といった卓見が見られ、文化研究者としてのセンスを感じさせるのだが、いかんせんその背景をなすところの第1章の労働市場論というか、高度成長・経済発展についての記述につっこみどころが満載。これではたとえ第2章以下のカルスタの部分がよくできてても、の価値が半減だ。 例えば 「石油危機を契機に、次のような事情が明らかとなった。大量生産品から多品種少量生産への移り変わりは、移

    インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - 高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)
    shinimai
    shinimai 2006/04/14
    高原さんの本に対する批判。
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