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エッセイに関するshino-katsuragiのブックマーク (10)

  • 親が正しいとは限らない 毒家族に苦しんだ漫画家が『ゆがみちゃん』を描いた理由|ウートピ

    人格を否定する暴言などによって、子どもに毒のような影響を与える親、「毒親」。毒親という言葉は、アメリカの精神医学者・スーザン・フォワードの著書『毒になる親』から生まれた俗語だ。毒親問題それ自体は昔から存在していたが、日で話題になるようになったのはここ数年のこと。「最近まで話題に上がらなかったのは、“自分を生み育ててくれた親は正しい”、“親のことを悪く言えない”という考えが浸透しているからだと思います」。そう語るのは、毒家族から脱走した実体験を描いたコミックエッセイ『ゆがみちゃん 毒家族からの脱出コミックエッセイ』(KADOKAWA)の著者、原わたさん。この漫画にこめた思いや家族に関するエピソードについてお話をうかがった。 タブー視されている親子関係を問題視していいと気づいた ――この漫画を描こうと思ったきっかけは何ですか? 原わたさん(以下、原):田房永子さんの『母がしんどい』を読んだこ

    親が正しいとは限らない 毒家族に苦しんだ漫画家が『ゆがみちゃん』を描いた理由|ウートピ
  • 旦那芸について - 内田樹の研究室

    観世流の謡と舞の稽古を始めて十八年になる。 三年前に初能で『土蜘蛛』を披き、去年の六月には『羽衣』で二度目の能の舞台を踏んだ。次の能は来年。『敦盛』を舞う予定になっている。 私が専門とする合気道の基準を当てはめると、まず「三段」というあたりである。ようやく薄目が開いてきて、自分がそもそもどういう技芸を学んでいるのか、自分はなぜこの技芸の習得をめざしたのか、自分はこの芸能の「地図」のどのあたりに位置しているのか、いささか構えて言えば、芸能史におけるおのれの「歴史的役割」は何かということがようやくぼんやりわかってきたあたりである。 こういう自己認知のしかたを「マッピング」と呼ぶ。自分自身を含む風景を上空から鳥瞰的に見下ろしてみるということである。そうやってみてわかったことがある。それは私がしているのは「旦那芸」だということである。 こういう言い方を好まない人がいることはわかっている。けれども、

    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2015/04/28
    女性の場合、なんて言うとよいんだろう?と思って、てすさび、ぐらいしか思いつかなかった。/貧すれば鈍する、な、世の中だったりして、そこまで心を添わせるのは難しそう。
  • なぜボトルキャップでなければならないのか:小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 :日経ビジネスオンライン

    世界の子どもにワクチンを届ける目的でペットボトルのキャップを集めている団体があるのだそうだ。名前を「エコキャップ推進協会」という。で、その横浜市に拠を置くNPO法人が、キャップの売却益を、2013年以降、ワクチンとの交換でなく、別の使途に充てていたことが発覚して、ちょっとした騒ぎになっている。 寄付目的で集めていた善意(あるいは労力)の結晶を、掲げていた看板とは違う目的のために流用していたわけだから、これは「裏切り」と言えば「裏切り」ではある。 大勢の人の小さな善意が裏切られたわけだから、怒る人がいるのは当然だ。 が、最初に個人的な見解を述べておくと、私は、大勢の人々の小さな善意や、それを眺めている人間の憤りには興味がない。 どうでも良いと思っている。 ニュースを知って、私が興味を持ったのは、「そもそもどうしてペットボトルのキャップなんかを集めようとしたのか」という点についてだ。 だって

    なぜボトルキャップでなければならないのか:小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 :日経ビジネスオンライン
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2015/04/20
    呪詛だったのか。
  • 嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記(2) 愛がなくても結婚できます

    「恋人夫婦」に育てられ うちの両親は学生結婚だった。大学で知り合い、20代のうちに留学先で挙式して、帰国後に3人の子供を育てた。幼い頃から贈答品や慶弔にまつわるやりとりなどで、彼らはよく「すみません、学生気分が抜けないもので……」と己が非礼を詫びていた。とっくに還暦を過ぎ、初孫が生まれた今も、母親はまだそんなふうに振る舞う。恥ずかしいからやめろと言っても「あら、だって私たち、いつまでも学生気分で新婚気分なんだものー!」とまったく取り合わない。 お互いをずっと名前で呼び合い、子供の前でも平気でイチャつき、この数十年、家庭内でいかなる齟齬が生じようとも「愛こそはすべて」と言わんばかりの豪腕で解決してきた2人。2歳下の妹は「私もパパとママみたいに愛のある家庭を築きたい、将来の夢はお嫁さん!」と言い続け、宿願果たして現在は子育てに邁進する専業主婦である。姉の私はというと、「あんなふうになるのは到底

    嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記(2) 愛がなくても結婚できます
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2013/10/11
    まぁ、アキテーヌ女公みたいな人生だとたいへんそうだものね。ロマンチックラブ重視でなくてよいわけで。
  • 萩尾望都「あわてふため記 紫綬褒章」受章レポートマンガ

    萩尾望都が、紫綬褒章の受章についてをレポートしたエッセイマンガ「あわてふため記 紫綬褒章」を執筆。日6月28日発売の月刊flowers8月号(小学館)に掲載されている。 「あわてふため記 紫綬褒章」は、受章の知らせを電話で受ける場面から始まる。亡き父に仏前で受章を報告したこと、褒章着用のための前準備など、伝達式までに起きた一連の出来事をスピーディーに描いている。受章に驚き、混乱した萩尾の心情がリアルに伝わるレポートマンガだ。

  • ヤマザキマリ、ぶっとんだ母を描く親子2世代子育てエッセイ

    「テルマエ・ロマエ」で知られるヤマザキマリの新連載「立っている者は母(リョウコ)でも使え!」が、日1月12日、CREA(文藝春秋)のWEBサイト内「コミックエッセイルーム」にてスタートした。 「立っている者は母でも使え!」はヤマザキの母・リョウコや息子・デルスくんのエピソードを描いたエッセイマンガ。第1話「孫の代まで親の責任」では、元ヴィオラ奏者で現在ヴァイオリン教師であるリョウコの豪快な人柄が描かれた。 同作は今後月イチペースで更新される予定。CREA誌面でも同時連載され、発売中のCREA2月号にも第1話が掲載されている。

  • 姉の結婚2巻特典に、水曜どうでしょうD藤村の人生相談

    西炯子「姉の結婚」2巻が、日11月10日に発売された。4カ月連続で開催された「私たちの俺たちの西炯子 西炯子4ヶ月連続コミックス刊行リレーフェア」のラストを締めくくるタイトルだ。 このフェアは講談社、白泉社、徳間書店、小学館から西の単行が連続刊行されることを記念した4社合同企画。各単行の初版分に、特製ペーパー「月刊西炯子」を投げ込むというもの。ペーパーには西の最新情報やエッセイ、来月発売されるフェア対象商品の描き下ろし予告マンガなどが掲載されている。 「月刊西炯子」最終4号では、西の悩みにTV番組「水曜どうでしょう」ディレクターの藤村忠寿が答える人生相談を収録。西の悩みは、もしもマンガ家として大ブレイクしたら、どのように資産運用をしたらよいかというもの。気になる藤村の回答は、ペーパーをゲットして確認しよう。

    姉の結婚2巻特典に、水曜どうでしょうD藤村の人生相談
  • 萩尾望都13年ぶりエッセイ集、1977年の大島弓子解説など

    「一瞬と永遠と」は、萩尾が様々な媒体で発表してきたエッセイをまとめたもの。1977年に発売された大島弓子の短篇集「銀の実をたべた?」に収められたテキスト「ユミコ風」から、2010年に発売されたPHP新書「宇宙にとって人間とは何か―小松左京箴言集」用の解説文まで、幅広い年代のエッセイが収められている。 また季刊ヘルメス(岩波書店)、キネマ旬報(キネマ旬報社)などの雑誌に掲載されたエッセイも多数。価格は1890円だ。

    萩尾望都13年ぶりエッセイ集、1977年の大島弓子解説など
  • 堀田あきお夫妻「不妊治療」テーマのエッセイマンガ発売

    これは、当にあった笑える話(ぶんか社)で連載中の「上を向いて歩いてきた」をまとめたもの。堀田とのかよが、10年に及ぶ不妊治療の体験について描いたエッセイマンガになっている。 「上を向いて歩いてきた」は現在も連載が続けられているが、不妊治療編には区切りをつけ現在はアジア旅行の記録を執筆している。同じくアジア旅行を題材にした代表作「アジアのディープな歩き方」のファンも要チェックだ。

    堀田あきお夫妻「不妊治療」テーマのエッセイマンガ発売
  • ヤマザキマリ、文藝春秋に「風呂と夫とローマと私」寄稿

    寄稿文には日と古代ローマとの共通点や、イタリア人の夫がどれだけ「テルマエ・ロマエ」に影響を与えているかが記されている。また「テルマエ・ロマエ」を描き始めたのは、長いヨーロッパ暮らしで家に湯船がないため、お湯に浸かる人を描くことによる擬似入浴効果を求めていたからとも綴った。 ヤマザキは自身のブログに、「文藝春秋は1980年代から1990年代半ばまで、私がフィレンツェで極貧の貧乏画学生をしていたころ、もっとも激しく読み込んでいた雑誌」だと同書に対する想いを語り、自分の文章が掲載されたことへの喜びを記している。

    ヤマザキマリ、文藝春秋に「風呂と夫とローマと私」寄稿
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