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介護とジェンダーに関するshino-katsuragiのブックマーク (4)

  • 「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 - wezzy|ウェジー

    2017.08.25 17:00 「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 社会学者の平山亮さんは、去る2月に『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)を上梓されました。その名のとおり「介護する息子」の研究をとおして、介護=ケアと、庇護される立場の男性性=息子性を分析する、男性によるあたらしいジェンダー論でした。 近年、「男性の生きづらさ」を照射する日の男性学が注目されています。その「男性の生きづらさ」の例として挙げられているのは、一家の稼ぎ手=稼得役割になることが求められる一方、「イクメン」が理想とされ、家事や育児も期待されるたいへんさです。しかし、そもそもいまだに男女が平等とは言えない状況で、その「生きづらさ」は当に的を射ているのか? 今回は、平山さんに「男性の生きづらさ」論によってごまかさ

    「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 - wezzy|ウェジー
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2017/08/28
    "男性にとっての誇るべき「自立」の達成とは、ケアを押し付けることのできる特定の女性がいることだと言えるでしょう。" "親や子どもに対するケアだと「妻にやらせること」が自分の支配を示すことになる。"
  • 家事・育児を任せることに罪悪感を抱いてしまう:日経ビジネスオンライン

    この4月、「外国人の家事労働者を特区で受け入れる」ことが閣議決定され、今国会で通る見込みだ。その目的は「働く女性の支援」のためだという。外国から家事労働者を迎えれば、働く女性が増えるって当だろうか? 確かに海外に事例はある。欧米、中東、そしてアジアでは香港、シンガポール、台湾などで、数多くの外国人家事労働者が働いていることが知られている。はたして日でも、女性が働くなら、家事・育児は外国人にお願いするのが当たり前という時代がくるのだろうか。家事育児の助っ人が得られれば、生活はどう変わるのか。アジアでの受け入れ先進国・香港で、共働きの日人家庭を取材した。3回シリーズの最終回は、家事をアウトソーシングする意識を考えたい。 「家事も育児もヘルパーさんにお任せなんて、ラクでいいわね」 香港に住む日人女性は、何度こうした言葉を投げかけられたことか。そのため、日に帰ると「ヘルパーさんに月曜から

    家事・育児を任せることに罪悪感を抱いてしまう:日経ビジネスオンライン
  • 「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog

    父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。 「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。 そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。 社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。 高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してき

    「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2013/11/24
    実父なんかはコレだよなぁ、と思うけれども。本人も大変なんだろうなぁと思えるようになったのはつい最近だ
  • 上野千鶴子「ケアの社会学」書評 家族介護を解体し、共助のしくみ追究|好書好日

    超高齢社会における共助の思想と実践とは何か? これまでもっぱら「ケアする側」の立場から語られてきた介護の問題を「ケアされる側」の立場から捉え返し、介護現場における「当事者… ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ [著]上野千鶴子 私たちは人類史上はじめて「超高齢化社会」を経験している。なぜなら人が簡単に死ななくなったからだ。過去にはありえなかった社会構成が出現している。 また、介護保険法の成立によって、これまで家庭内の「不払い労働」だった介護が、家庭外の「支払い労働」へと拡大している。「介護は家族が担うのが当然」という規範は根強い。しかし、はたして家族介護は「自然」の行為といえるのか。それを無条件で「望ましいもの」とみなしていいのか。 上野は、家族介護は神話であり、解体する必要があると論じる。そして、ケアは「愛の行為」ではなく「労働」と捉えるべきことを強調する。ケアを「有償の労働」とみなす

    上野千鶴子「ケアの社会学」書評 家族介護を解体し、共助のしくみ追究|好書好日
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/10/11
    愛も無尽蔵ではないからな。/「女性の階級問題」げに。
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