彼女は75歳になるまでこころ美しく暮らしてきたに違いないと思わせた。昔語りを聴けば、ごく普通の旦夕(たんせき)であったことが知れるのに、今も漲る生気と笑顔が瑞々しく、耳を傾ける者に、知らず、喜びを与えている。 関門海峡上空の太陽が、地球の自転の速度で月に隠れていく過程を、関の氏神といわれる神社から、すっかり段階撮影した日の、午餐のあとの出会いだった。 村竹喜久子さん、1934(昭和9)年生まれ、独身。結婚後、間もなく夫を亡くし、それからは、後家の一念で一人息子を育てあげ、ことし101歳になる姑と同居、介護を通して、お互いがそれぞれの愛情を求め、確かめ合いながら暮らしを結んでいる。 「たかが、たい焼とお思いでしょうけど…」 「まあ、惜しいこと、この商店街の誰一人、空を見上げないんですから、10時50分ころだったでしょう、日射しが急に薄くなって、おや、日食のいちばん大きい時刻だわ、と気づいて外
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