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ブックマーク / mercamun.exblog.jp (2)

  • 「居場所の社会学」書評 「自分探し」から「居場所探し」へ | 社会学玄論

    阿部真大という社会学者がいる。「居場所の社会学」という若者論を書いている。興味のある点は、居場所の社会学が独自の幸福観に準拠していることである。それは、居場所のない人間は生き辛さを感じ、不幸であり、居場所のある人間は幸福であるという思想である。この幸福観は、人間科学的に何ら実証的根拠をもつものではないが、阿部真大氏の個人の社会体験に根付いた貴重な思想なのである。 阿部氏は、居場所がある人間は幸福であるという思想に基づき、家庭、職場、学校、地域社会、サークル、仲間集団、恋愛など、あらゆる社会的領域を人々の居場所にすることで、社会全体がよくなると考えている。 ただし、各社会集団が人々の居場所となっても、それがイコール各社会集団の社会的機能遂行に直結するとは限らない。この点は、保留しておきたい。 これまでの社会学の分析概念から居場所という概念に近い概念を考えてみたい。社会学者ハーバーマスが準拠す

    「居場所の社会学」書評 「自分探し」から「居場所探し」へ | 社会学玄論
    shiraber
    shiraber 2012/01/26
  • ナラティヴ・セラピー批判 | 社会学玄論

    社会構築主義批判2 ナラティヴ・セラピーとは,他者との会話の中において,語ることで自己をつくり,様々な問題を解決・解消しようとする心理療法である。ナラティヴ・セラピーの基原理は,社会構築主義に基づいている。つまり,現実はコミュニケーションによって構築されたものにすぎないという世界観に基づいている。 そこで,社会システム論から,ナラティヴ・セラピーを分析してみたい。まず,コミュニケーションを重視する点において,社会システム論もナラティヴ・セラピーも変わりはない。しかし,社会システム論においては,コミュニケーションの主体は心(心的システム)ではない。確かにコミュニケーションは二つ以上の心的システムが必要であるが,コミュニケーションの送信者と受信者は,人格システムに帰属することになる。 このように,社会システム論では,心的システムと人格システムを分ける。言い換えれば,「思っていること」=心的シ

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