こちらの謎は曹氏(そうし)と袁氏(えんし)の縁組に関するものです。 このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合う中で、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。 ご意見や情報がございましたら、記事の最下部にあるコメント欄またはお問い合わせフォームよりお願いします。 概要 建安(けんあん)8(203)年に曹操(そうそう)は劉表(りゅうひょう)討伐に向かい、軍勢をひきいて西平(せいへい)まで進みました。 これ以前に曹操が鄴(ぎょう)を離れて許(きょ)へ帰った後、冀州(きしゅう)では袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)が支配権を巡る争いを繰り広げます。 敗れた袁譚は平原(へいげん)へ逃げますが、袁尚軍に激しく攻め立てられたため、辛毗(しんぴ)を遣わし曹操に降伏を申し入れたうえ、救援を要請しました。 曹操は荀攸(じゅんゆう)の進言を受けて袁譚の要請を容れ、西平から黎陽(れいよ