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2017年7月31日のブックマーク (4件)

  • 日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力 |

    Mugendai(無限大) 日人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力 文学作品や歴史文献を数多く生み出した江戸から明治期の日。しかし、現代の日人の大方は原文を読む能力を失い、存在すら知らずにいる。なぜそうなってしまったのか。 ニューヨーク生まれの日文学研究者として知られるロバート キャンベル氏は、明治政府がすすめた言文一致などの国語政策によって、それ以前と以後の言語に大きな「断絶」が生じたことを指摘する。それによって国家の近代化に成功した半面、多くの古い文学や資料が読まれないまま埋もれる結果を招いたという。 キャンベル氏は東京大学総合文化研究科教授から、2017年4月に国文学研究資料館(国文研)館長に就任。日や世界に散在する30万件もの資料のデータベース作りに取り組んでいる。誰にでも検索が可能で、「地震や飢饉といった

    日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力 |
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2017/07/31
    考へてみれば、前近代についちゃあ帝国図書館は責任を持たなかったからなぁ…(彼らなりに江戸時代のはんぽんをKってはいたが)
  • 【イマドキの仕事人】宿題代行業“難問”引き受け、親も助ける― スポニチ Sponichi Annex 社会

    【イマドキの仕事人】宿題代行業“難問”引き受け、親も助ける パソコンの下書きと依頼人のノートを見比べながら作文を書いていく宿題代行人・成田真琴さん Photo By スポニチ 8月。そろそろ親子で気になりだすのが、夏休みの宿題だ。読書感想文、ポスター作成、自由研究…苦手な課題ほど後回しにしがち。そんな宿題を、代わりにやってくれる人がいる。ここ数年で一気に認知度が高くなった宿題代行業。どんな人がやっているのだろうか? 成田真琴(25)は自宅マンションで、パソコンと学習ノートとにらめっこしていた。手がけているのは、公立小学校に通う6年生男子児童の「環境問題について」の作文。依頼主である母親から送付された男児のノートから、文字の癖を大まかに把握。あらかじめワープロ文書にしておいた内容を、鉛筆で用紙に書き写していく。 筆跡はそっくりというわけではない。「夏休みは親が見ている中で書くことが多い

    【イマドキの仕事人】宿題代行業“難問”引き受け、親も助ける― スポニチ Sponichi Annex 社会
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2017/07/31
    []結局、親ないし生徒がウン万円をポンと出せるかどうかにかかってゐるのだから、さういった富裕子弟向けのサービスといふことで存在意義はあるのでは。わちき的には長期休暇に宿題をさせる必要はないと思ふがの。
  • パワハラもみ消し「凸版印刷」のお粗末〜「団交拒否は違法」都労委が命令

    *記者会見する指宿昭一弁護士 →動画(6分33秒/指宿弁護士解説) 「ものを投げつける、皆の前で罵倒される、嫌がらせの配転を迫られる」など上司パワハラに耐えられず、声を上げた凸版印刷の生産管理で働くAさん。組合員であった凸版労組にパワハラについて「会社と交渉してほしい」と依頼したが門前払いされてしまった。そんなとき知ったのが一人でも入れる合同労組「日労働評議会」だった。Aさんは日労働評議会に加入した(団交申し入れ後に、凸版労組を脱退)。そして2016年3月31日に団体交渉を会社に申し入れた。しかし凸版印刷の回答は「団交拒否」。理由としてあげたのが「貴殿がいかなる団体であるか知りません」「(合同労組は)当を得ないものと思料いたします」「使用従属関係にある者は1名に過ぎず、その他の構成員は使用従属関係がないので労組の資格はない」というもので、真っ向から合同労組の存在そのものを否定するもの

    パワハラもみ消し「凸版印刷」のお粗末〜「団交拒否は違法」都労委が命令
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2017/07/31
    パワハラする上司の首を飛ばすなり格下げするなりすれば簡単なのに、いったん管理職になるとどんな失態・無体・病気があっても下げないってーのは、これは日本病なのかしら…(゜~゜) いずこも同じぢゃなぁ…
  • 上野の図書館は今日も満員だった(´・ω・`) - 神保町系オタオタ日記

    閉鎖中のブログ「書物蔵」2016年11月23日のエントリーは「帝国図書館が満員になり始めたのは、1907年前後から」。そこでは、『書物往来』3年2号、大正15年2月掲載の「帝国図書館問題」(無署名)が引用されている。 帝国図書館の満員続きは昨今始まつた事ではない[。]遠く大正の初年若くは明治四十年前後からの現象であつたと記憶してゐる。特に震災後は一層酷い状態であるらしい。 明治39年の日記中に上野の帝国図書館に行ったが満員だったという記述があるので紹介しておこう。 山崎國紀編『森鴎外・母の日記』(三一書房、昭和60年11月)では、 (明治三十九年四月) 四日 ひる頃、篤次郎出かけたる序故、上野の図書館に行<く>と申<し>て寄る。一緒<処>にひるめしを済し、自身も潤三郎と向島の墓参りに行<く>。上の[ママ]迄連立(遠)<ち>しに図書館満員にて入<る>事出来ず。それ故、篤次郎も向島に行<く>。

    上野の図書館は今日も満員だった(´・ω・`) - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2017/07/31
    さすがぢゃ、オタどん。それはさうと、柴田宵曲が、図書館満員だから本郷を一回り、って、それおそらく本郷の古本屋街をひとまはりの意味では(σ・∀・)σ